「自分自身の内に塩を持ちなさい」(50節)

「塩」とは、「救い主イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義」と言えるでしょう。それは、どんな時にも主イエスを救い主と信じ、そのために働くことを感謝する信仰と、その信仰への神様の祝福と言えるでしょう。そうであるなら、恵みが広がるように、「信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかり立つ者としてくださるように」(エフェソ3:17)と、未だ弟子になる決意を与えられない「味方」の人が、聖霊によって変えられるように祈っていきたいと思います。