2012-09-01から1ヶ月間の記事一覧

「だから、あなた方は気をつけていなさい。・・前もって言っておく。」

表面的なものに気を取られ、イエス様の使命の重大さを理解しきれていない弟子達を前に、イエス様は、終末について教え、惑わされないように警告されました。この世の支配者(サタン)に勝利されたイエス様が教えられた「終末の徴」を、私達も、弟子達に連な…

偽メシアの出現

21・22節は、偽メシアや偽預言者を信じるなとの警告です。にせ者達が「しるしや不思議な業を行う」とあります。本者か偽者かの区別は難しいように思われますが、私達の主、イエス様が私達に下さったのは、「奇跡」と同時に「福音」でした。イエス様は人々に…

大きな苦難

今日の聖書では不可思議な言葉が出てきます。「憎むべき破壊者」「山に逃げろ」「下に降りるな」「物を取りに家に戻るな」「身重の女と乳飲み子を抱えた女は不幸だ」「このことが冬に起こらないように祈れ」など・・。 この意味を理解するため、先週の礼拝で…

はじめに

前回は戦争、地震、飢饉、迫害の記述がありましたが、その一つ一つの出来事に怯える必要はなく、サタンが支配する古い世界から、イエス様の勝利による、神様の愛の広がる新しい世界が生まれる希望を見い出しました。私達はそれぞれに与えられた持ち場におい…

マルコ13:14−27

申命記30:1−6、11−14

イエス様の声を聞き分けるイエス様の羊

「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、誰もかれらをわたしの手から奪うことはできない。・・ わたしと父とは一つである。」(27節) イエス・キリス…

「私は言ったが、あなた達は信じない」

イエス様の返事は明快でした。「私は言ったが、あなた達は信じない。わたしが父の名によって行う業が、わたしについて証をしている。しかし、あなたたちは信じない。」 イエス様は、御自分がメシア(救い主)であることを隠そうとはされません。イエス様の教…

「メシアなら、はっきりそう言いなさい。」

この歴史的な、神様の恵みを思い起こす祭りの時、イエス様はいつものように神殿に来られていました。普段よりも多くの人達が集まるこの時を、イエス様はご自分の使命である、神様を伝える時として大切にされたのでありましょう。その時、イエス様に対して態…

はじめに

今日の聖書は、エルサレムで神殿奉献記念祭が行われた冬の時でした。神殿奉献祭とは礼拝堂を神様に献げる献堂式のことです。シリアの支配下に置かれていたBC167年、アンティオコス4世のエピファネスによってエルサレム神殿に偶像が祭られるなど、神殿は徹底…

ヨハネ福音書10:22−30

詩編103:14−22

「まず、福音があらゆる民に宣べ伝えられなければならない」(10節)

人間が、今の自己中心の世界を卒業し、全く逆の「神様の愛」を根本にした世界を生み出していくには、「産みの苦しみ」が待っています。 主の福音が広まるために弟子達は、純粋で強い信仰を貫き迫害に負けず、イエス様が救い主であると証しし、多くの人達が殉…

「あなた方は自分の事に気をつけていなさい。」(9節)

イエス様は「あなた方は自分の事に気をつけていなさい。」と言われました。何をどう気をつけるのでしょうか。それは今後の出来事における弟子達の態度です。イエス様を救い主と信じるゆえに、権力者からの迫害があり、そこではイエス様について証言を求めら…

終末の前ぶれについて

イエス様は、二番目の質問「前触れ」について、偽の「救い主」を語る者達の出現、戦いや地震や飢饉などを挙げられました。しかし、これらは起こるに決まっているが、まだ世の終りではないと言われます。 「起こるに決まっている」とは、神様の救いを理解でき…

二つの質問

イエス様は不信仰のエルサレムを出て、そこを見下ろせるオリーブ山に来た時、弟子達(ペトロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレ)がひそかに尋ねました。彼らは最初にイエス様に呼び集められた弟子達です。素晴しいエルサレム神殿が崩壊するのは「終末」の時と考え…

はじめに

本日の聖書には、地震、戦争、飢饉という言葉があり、「今は終末だろうか?」と不安に思われる方もいらっしゃるかもしれません。そんな折に与えられた御言葉を、じっくり追いながら学んでいきたいと思います。 ユダヤ教の総本山エルサレム神殿で、本当は、救…

マルコ福音書13:1−13

詩編46:2−12

罪の鎖を断ち切る「十字架の死」

この私達をつなぎ止めている罪の鎖を切り離し、私達を罪の奴隷から解放して下さる唯一のお方がイエス・キリストです。イエス様こそ私達人間を罪から解放して私達を自由にするため十字架にかかられました。「十字架の死による、私達の罪の赦しと贖いを信じる…

罪の奴隷

イエス様は、自分達は自由な者だと主張するユダヤ人に対して「罪を犯す者は罪の奴隷である。」と断言しました。この場にいたユダヤ人は幼い時から「律法」を教えられ、おそらく、きびしく律法を守ってきたとの自負があったでしょう。しかしイエス様は、あな…

誰かの奴隷になったことはない(?)

イエス様は、「真理はあなた達を自由にする。」と言われました。ここにおられる方は、御自分のことを「自分は不自由である」とは感じておられないでしょう。聖書に登場するユダヤ人達も、イエス様にこう答えました。「私達はアブラハムの子孫です。今まで誰…

私達の行動原理

イエス様を知らなかった時、私達は自分の行動を決定するのは、それ迄、親や教師、友人・知人を通し、又、さまざまの情報などにも影響を受けながら形成した自分なりの価値基準に基づく判断でした。しかし聖書は今、「イエス様の言葉の中に根を下ろして真理を…

約束の条件

先週と同じように今日の御言葉の約束も、条件付き(?)です。もし、「イエス様の言葉にとどまるならば」、そうするなら、「私達は真理を知ることが出来、自由になる」のです。「とどまる」とはどういうことでしょうか。それは途中でやめないで、初めから終…

はじめに

先週の礼拝で、イエス様の「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」との御言葉を学びました。イエス様を信じて従う者は、光であるイエス様といつも一緒に、明るい中を歩むことが出来るという約束でした。今日の聖書は、「…

ヨハネ福音書8:31−36

詩編65:6−14

イエス様の証人

イエス様はご自分の証言に対して、ご自分をこの世に遣わされた父なる神様も共に証言されるので、御自分の言葉は真実であると説明されました。イエス様は何をするにも語るにも、常に神様から聞き神様が望まれることを行なわれました。この光であるイエス様に…

光のみなもと

イエス様が暗闇の中に光として来られた時、その光をどこから得たのか、その源をご存知であるから、イエス様は私達を導くことがお出来になるのです。生まれながらの人間は、自分がどこから来てどこにいくのか知らないまま生きているので、闇の中を手さぐりで…

信じない敵対者

ところがイエス様を信じないイエス様の敵対者達は、自分で自分のことをいっても、それは信用ならないと反論しました。そこでイエス様は、語っていることが真実である証拠として、三つのことをいわれました。一つは、御自身がどこから来てどこに行くのか知っ…