2010-11-01から1ヶ月間の記事一覧

アドヴェント

アドヴェントは、主の来臨を待ち望む心の「準備の時」ですが、「悔い改めの時」でもあります。神様は独り子イエス様の「十字架の死」という犠牲を払い、人間が罪からあがなわれて永遠の命を与えるにふさわしい者となるよう求めておられます。へりくだって十…

信仰の表明

第三部は、神様が、かつてイスラエル民族と結んだ約束を忘れずに、アブラハムとその子孫を神様の祝福の下に繁栄させてくださるという信仰の表明です。この賛歌を通して、イスラエル民族がいかに「主を畏れかしこむ」生活を、代々受け継いできたかが分かりま…

神様の御性質

第二部は、イスラエルを愛された神様の御性質をくわしく説明しています。まず、主を畏れる者に限りない憐みを注がれることが証されます。次に神様は、この世で力を持っておごり高ぶる者を評価されないどころか、その全能なる御力で、低い地位に追い落とすこ…

神様への感謝

マリアの賛歌は大きく三つに分けられます。第一部は、救い主の母に選ばれたことの神様への感謝です。力ある方が身分の低い人間を選び、神様の御計画に用いたことへの賛美と感謝です。当時のイスラエル社会の中で、全く力のない女性が選ばれたことは、まさし…

マリアの賛歌

ルカによる福音書一章には「荒れ野の道を整える者」=神の御子の行く道を準備する者として「洗礼者ヨハネ」の誕生のいきさつが書かれています。そこから既に、神様のご計画が始まっています。そして天使ガブリエルのマリアへの受胎告知、洗礼者ヨハネを身ご…

はじめに

今日から待降節(アドウェント)の期間に入りました。日本の暦ではお正月のようなものです。しかし教会暦は、降誕(主イエスがお生まれになった)から始まらずに過去にその出来事を実際に起こして下さった「神様の愛」を思い起こして感謝し、再び主が来たり…

1章46−55節

46 そこで、マリアは言った。「わたしの魂は主をあがめ、47 わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。48 身分の低い、この主のはしためにも/目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人も/わたしを幸いな者と言うでしょう、49 力…

22章15−18節

15 主の御使いは、再び天からアブラハムに呼びかけた。16 御使いは言った。「わたしは自らにかけて誓う、と主は言われる。あなたがこの事を行い、自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、17 あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のよう…

信仰によって献げる信仰者

さて今日においても、私達も主に献げ物を携えてきます。例えば時間を献げ、奉仕の業に参与いたします。又、献品や献金を献げます。ある人は生涯を献げる献身をいたします。さまざまな献げ方があります。 しかしそれらは、外側の大きさ、種類で優劣が決まるの…

神は献げる人と献げられた物を見られる

創世記では、神はカインとカインの献げものを見た。そしてそれに目を留めることはなかったのです。「献げ物」ではなくて「献げる人と、献げられた物」を見たということですので、まさにその献げ物がどのような心をもって献げられたか、ということが大切だと…

献げること以上に大切なこと

最初はサムエル記上15章22節の、預言者サムエルのサウル王への言葉「サムエルは言った。『主が喜ばれるのは、焼き尽くす献げ物やいけにえであろうか。むしろ、主の御声に聞き従うことではないか。見よ、聞き従うことはいけにえにまさり、耳を傾けることは雄…

アベルは「優れていたもの」を献げた

カインもアベルも信仰を有し、尚、献げ物さえしました。しかし新約聖書は「アベルは信仰によって献げた」と語るのです。即ち、「ただ献げた」というのではなくて「信仰をもって献げた」と記すのです。その献げ物は「優れたいけにえであった」と記しています…

ヘブライ人への手紙

創世記のこの箇所だけに限定しますと、見解はそこ迄であるとしても、新約聖書の解釈はさらに踏み込んだものとなっています。 今日お読みしたヘブライ人への手紙11章4節に目を転じたいと思います。ヘブライ書の著者は「信仰によって、アベルはカインより優れ…

不条理に対しても、顔を上げて生きる生き方

この不条理に関して、神様の取り扱いに対して、どうしてこんな事をするのだと異議を感じて八つ当たり的に鬱憤(うっぷん)晴らしをするということではなくて、不条理においても尚、罪が入り込む余地を与えず、あくまでも正しい道を歩む信仰。顔を上げて生き…

不条理

どの見方をとるとしても聖書の説明自体は、明示的ではありません。ただ結論として、「もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか。正しくないなら、罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない。」(7節)と結果…

神がアベルに目を留められたことについての、さまざまな見解

カインではなく、アベルとその献げ物に主の目が留められたことの理由について様々な見解が提起されています。例えば、神様は穀物ではなくて羊の献げ物を好まれたとの見解です。これは農耕民族の周辺のカナン人ではなくて、牧畜をなりわい(生業)としていた…

はじめに

本日の聖書の箇所は史上初の殺人、兄が弟を殺した出来事を記しています。殺人は、弟と比較された怒りによって引き起こされ、嫉妬心も絡んでいたと推測されます。神が、弟アベルとその献げ物に目を留められたが、兄カインとその献げ物には目を留められなかっ…

11章4節

4 信仰によって、アベルはカインより優れたいけにえを神に献げ、その信仰によって、正しい者であると証明されました。神が彼の献げ物を認められたからです。アベルは死にましたが、信仰によってまだ語っています。

4章1−7節

1 さて、アダムは妻エバを知った。彼女は身ごもってカインを産み、「わたしは主によって男子を得た」と言った。2 彼女はまたその弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。3 時を経て、カインは土の実りを主のもとに献げ…

神様のご計画

パウロは、外国でもエルサレムでも、どこにいても全く変わることのない一人のキリスト者として、福音を伝える使命を帯び続けて歩みました。それゆえ神様はパウロが願い望んでいたようにローマ伝道への道をこの事件から開かれるのです。 私達も又、目に見える…

「福音のためなら、どんなことでも・・」

パウロは、普通なら考えられない場面で「話をさせてくれ」と頼んでいます。それは「福音のためなら、わたしはどんなことでもします」(一コリント9:23)と語るパウロが、自分を捕えようと集まって来た群衆の何人かでも、救われる人が起こされるための行動で…

「どうか、この人達に話をさせてください」

千人隊長は兵士達に、パウロを兵営に連行するよう命じますが、興奮した群衆の暴力が止まず、兵士達はパウロを担がなければならないほどでした。パウロが四人を連れて神殿に出かけたのはパウロの意志からではなく、エルサレム教会の指導者達の考えから始まっ…

ローマの軍隊によって死を免れたパウロ

パウロが神殿のおきてを破って異邦人を神殿に連れ込んだとの、うわさの真偽が確かめられないまま、パウロは神殿の境内から引きずり出され、裁判にもかけられず、リンチが行われ、殺されそうになりました。この時丁度、五旬祭というユダヤ教の大きな祭りの時…

はじめに

今日の聖書箇所の前に、パウロについての誤解ある噂(パウロが律法に背くように教えている)を取り除く為の、エルサレム教会指導者達の提案が記されています。パウロはその提案を受け入れて、律法に従い、誓願を立てた四人の人達と共に神殿に入りました。と…

21章27−40節

27 七日の期間が終わろうとしていたとき、アジア州から来たユダヤ人たちが神殿の境内でパウロを見つけ、全群衆を扇動して彼を捕らえ、28 こう叫んだ。「イスラエルの人たち、手伝ってくれ。この男は、民と律法とこの場所を無視することを、至るところで…

3章1−8節

1 何事にも時があり/天の下の出来事にはすべて定められた時がある。2 生まれる時、死ぬ時/植える時、植えたものを抜く時3 殺す時、癒す時/破壊する時、建てる時4 泣く時、笑う時/嘆く時、踊る時5 石を放つ時、石を集める時/抱擁の時、抱擁を遠ざけ…

神に栄光を帰する

神様の栄光は、神様の恵みが感謝を生み出すことによって生じます。神様の御業や恵みを数える時、神様がいかにこの小さな自分を愛していて下さっているかを知ります。そして神様への感謝が、讃美や祈り、礼拝や献げもの、さらに周りの人々への証となって表わ…

土の器

今日の聖書では、私達は「宝」(福音・神の栄光を悟る知識)を、土の器である私達の中に納めていると記されています。神様が私達を、その「宝」を納める土の器とされたのは、「宝」(偉大な力)がまさしく神様のものであり、人間のものではないことが明らか…

私はすでに世に勝っている

私達は、イエス・キリストの福音がどのようにエルサレムから全世界へ伝えられていったのか、弟子達がキリスト者として福音をどう生き、どう伝えたのかを使徒言行録で学んでいます。昔も今も、御言葉を伝える業には多くの困難が伴います。しかしイエス・キリ…

アンケニー宣教師ご夫妻

これは、平野武夫兄のご家族に福音を伝えられたアンケニー宣教師ご夫妻の写真です。戦前から戦後にわたって仙台で伝道し、ご主人は東北学院の院長も務められました(夫人はシュネーダー宣教師の二女)。宣教師の方々が祖国を離れ、言葉も文化も全く違う世界…