土の器

 今日の聖書では、私達は「」(福音・神の栄光を悟る知識)を、土の器である私達の中に納めていると記されています。神様が私達を、その「宝」を納める土の器とされたのは、「宝」(偉大な力)がまさしく神様のものであり、人間のものではないことが明らかになる為でした。それゆえ四方から苦しめられても、途方に暮れても、虐げられても、打ち倒されても(このようなこの世の艱難を受ける時、弱い人間は倒れるしかありません)、「福音」・「神の栄光を悟る知識」という宝を納めている土の器は、決して行き詰まらず、失望せず、見捨てられず、滅ぼされないと聖書は断言します。この「並はずれて偉大な力」は神のものです(7節)。