イエス様の御前にやってきた悪霊

 ユダヤ教の礼拝所である「会堂」でイエス様が話をされている時に悪霊が、一人の男の体を用いて、
主の御前にやってきました。「霊」の話については、科学的思考に慣れた私達には、信じがたいと思われる方がおられるかもしれません。けれども、人間の居る所で、科学的に割り切ることのできないこと、「霊」の働きと思わざるを得ないことが、必ず存在します。昔だけでなく、現代にもあります。昨年、この仙台南伝道所で礼拝説教してくださった「ウェイド・マカーグ宣教師」の証しにも「霊」の働きにまつわる内容がありました。アメリカの先住民族の方々に伝道していく中で、ある時、「悪霊」を追い出し、「神の国の救い」を彼女や周りの人々に実際に示した出来事を語ってくださいました。この先生の伝道への熱意ある祈りが神様に聞かれ、イエス様が待っておられた悪霊を追い出すという神様の御業が現れたと思われます。
 さて、今日の聖書箇所に戻ると、本来イエス様から遠ざかったままでいるべき「悪霊」がイエス様の御前に来ました。「荒れ野の誘惑」(ルカ4:1〜12)でイエス様が「悪霊」に打ち勝ったことは「霊」の世界では知れ渡っていたのでしょう。「悪霊」とは「デーモン」と呼ばれていて、「悪魔(サタン)」の手下と考えられていました。「悪」の側の者達は「悪」を装っていますが、彼らこそ「善」の素晴らしさがわかり、心の底では憧れているのです。「自己中心」や神様に背くという間違った方向性を悔い改めれば、彼らも救われます。けれども、極限まで追い詰められないと、彼らは「善」への方向転換をする勇気を持てずに悪の状態に甘んじるのです。「悪霊」は「かまわないでくれ」と言いましたが、実は裏返しの表現で、心の底では「かまってくれ」、「救ってくれ」と言っているのです。