2008-06-01から1ヶ月間の記事一覧

「正しい人達は永遠の命にあずかる」

「正しい人達」とはイエス様を受け入れた人のことです。イエス様を受け入れるとは、イエス様が神様から遣わされて「私の罪に対する赦しを神様から得る為」に十字架にかけられたことを「信じて受け入れる」人のことです。それは、この世の支配から神様の支配…

いつも道はふたつ!

左側に置かれた人々に対するイエス様の宣言も、逆の意味で彼らにとって予想外でした。自分達は隣人愛を行なってきたと考えていたからです。しかし「だれも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、…

右側の人達の応答

それを聞いた右側の人々は驚いて、自分達はイエス様に対してそのようなことをした覚えはないといいます。神の御子イエス様がそんな悲惨な中におかれていたとは考えられなかったからです。しかしイエス様は、右側に置かれた人々は、小さな存在であった彼らの…

右側に置かれた人達

その時、右側の人達にイエス様は「さあ、私の父に祝福された人達」と呼びかけます。彼らは神様の祝福をいただく人達です。さらに続く言葉は「天地創造の時からお前達に用意されている国を受け継ぎなさい」です。この世界が創られた時から用意されている神の…

二つに分けられる

ここには、すべての人は永遠の罰を受ける者と永遠の命を受ける者とに分けられる時が来るということ、そしてその分けられる原則について語られています。当時、羊飼いは羊とヤギを同時に放牧しましたが、夕方になると寒さを嫌う山羊と、新鮮な空気を求める羊…

はじめに

マタイによる福音書は28章までありますが、その中にイエス様の説教が大きくいって五つあります(①[山上の説教] 5章−7章 ②弟子達を伝道に送り出す[派遣説教]10章 ③種まきのたとえに代表される[たとえによる説教] 13章 ④[正しい教会の在り方についての説教] 19…

 25章31−46節

31 「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。 32 そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、 33 羊を右に、山羊を左に置く。 34 そこで、王は右側にいる人…

「洗礼者ヨハネは水による洗礼、主イエスは聖霊による洗礼」

洗礼者ヨハネは多くの民衆に水による洗礼を施しています。しかし主イエスの業は、もっと大きいものでした。使徒言行録に記されているように、全生涯を終えられた後、弟子たちに聖霊が降り注いだこと(2章)、聖霊の導きで全世界に福音が広まったこと(全章…

新約時代の「主の道を整える」とは・・

「罪を告白し、悔い改めの洗礼を受ける」(4−5節)ことです。聖書によれば、一番大きな罪は主イエスと、御子をこの世に下さった神様を信じることが出来ないことです。洗礼は、罪の告白によって罪が赦された結果もたらされる恵みです。多くの方々がその恵みに…

旧約における「主の道を整える」とは・・

イザヤ書40章−55章(第二イザヤ)は、「イスラエルの民が異教の地バビロンでの苦しい捕囚生活からもうすぐ解放される」という慰めに満ちた預言から始まります。3節の「主の為に、荒れ野に道を備え 私達の神の為に、荒れ地に広い道を通せ。」は、故郷エルサ…

信仰生活の整理整頓

信仰生活においても、いる・いらないを分ける時は明確な基準が必要です。信仰生活の「整理」とは礼拝出席と日々の聖書拝読と朝夕の祈りの死守でしょうか。「整頓」とは、御言葉を心に刻み、折にふれて家族や友人、また落ち込んだ時の自分に対しても、語りか…

「道を整える」(3節)

道を整える為には具体的にどうすればいいか。もし整えようとする道に草がぼうぼう生えていたら、刈り取るでしょう。ごみが落ちていたら、拾って別のごみ置き場に捨てに行くでしょう。石ころを取り除き,ほうきで地面を念入りに掃き清めるでしょう。地盤が悪か…

「神の子イエス・キリストの福音の初め。」(1節)

この言葉はマルコ福音書の本質を最も短くまとめた実に的確な表記です!主イエスが神の子としてこの世で歩みながら、人々に悔い改めを勧め、神の国の到来を告げる、という喜ばしい知らせをもたらして下さったことを明示しています。その御生涯の最期では、人…

はじめに

今日、礼拝で御言葉を取り継ぐ任を与えられ、神様に感謝を捧げたいと思います。又、欠けたところの多い私を伝道師として受け入れて下さった仙台南伝道所の兄弟姉妹の皆様に心から感謝しています。月1回の説教を担当させていただくことになり「マルコによる…

 1章1−8節

1 神の子イエス・キリストの福音の初め。 2 預言者イザヤの書にこう書いてある。「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、/あなたの道を準備させよう。 3 荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。』」そのとおり、…

 40章3節

3 呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え/わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。

本物のクリスチャン

四年前のこの伝道所の開設式の時「本物のクリスチャンを育てる教会でありたい」と話しましたが、本物のクリスチャンとは何だろう。まず「自分は神様に造られたものだ」「神様に造られたものにすぎない」ことをいつも忘れないということです。それはいつも自…

罪から救われると・・

罪から救われるということは、その人に行動する力を与える。救われて暗い穴に隠れる人は絶対にいません。罪を赦され、罪から救われた人は、必ずや他の人の為に何か役に立ちたいと、人を配慮する力が与えられる。私は牧師の家に生まれました。小さい時から人…

わたしのこと

私が神学校に行きたいと思ったのは高校3年の時ですが「自分の罪」というものが本当にわかった時でした。「祈り会」に出ていた時に、私は何て罪人だろうということがグサっときました。この私の自分ではどうすることも出来ない罪を、イエス様がご自分で十字架…

新しい人生

お金の為に、社会から追放されても会堂から閉め出されても、取税人ということにしがみついていたザアカイは、イエス様によってたった今、罪から救われた。ザアカイは湧き上がる大きな喜びで包まれました。ザアカイは罪から救われた時に全く新しい人生を歩み…

食事を共にする

食事を共にすることは、その人を赦し、その人を認め、その人の全てを受け入れることを意味しました。教会で愛餐会が大切にされるのは、このような意味があります。ただ仲良く楽しく食事を一緒にしているだけではありません。今までいがみあっていた人達が食…

イエス様に会いたい

人々はイエス様について「あの人は取税人や罪人と一緒に食事をしている」と非難しました。しかしザアカイはそのうわさを聞いてイエス様にぜひ会いたい、一目見てみたい、とエリコの町に来ると聞いて出かけましたが群衆にさえぎられて見ることができない。そ…

取税人の頭(かしら)ザアカイ

ザアカイはエリコの取税人の頭でした。税金を払う人達は自分達の税額を知ることはできませんでしたので、言われる通り払わねばならず、取税人達は何倍ものお金を納めさせていたのです。人をだまして自分達の利益を得ていたのです。彼らは民族としての仲間を…

取税人

取税人は、この時代、一番人々から嫌われ、憎しみを買った人達です。エリコの町というのは、なつめやしとバルサムという木が生えていて、それを栽培し、又、ばらの花も栽培して高く売れました。ローマ政府にとっては、エリコの町はたくさん税金をおさめる良…

ザアカイ

先ほど読みましたルカ福音書19章10節に「人の子が来たのは、失われた者を尋ね出して救うためである。」とありましたが、この「失われた者」というのは、まさに神様から切り離された状態の中にいる人のことをいっています。神様を認めない状態、神様を無視し…

まことの神様

神様にしがみついていれば、全く何の不安も恐れも持たなくてすむのですが、神様を忘れたり意識的に神様を無視したり神様から切り離された状態にある時、不安や恐れがどんどん広がっていき、それでいて原因が自分にあるということに気がつかない。それに気が…

忘れることは、神様から切り離されること

しかし私達は「神様に造られたものである」ということをすぐ忘れてしまう。それを忘れると、どんなにお金があり、高い地位にあっても、どんなに権力や権威を手に入れても、基本的に心の奥底に不安と恐れがひそんでいるのです。決して平安がない。自分自身に…

けれども・・

そういう私達を、神様は罪を赦して生かして用いていて下さるのです。そのことを思いますとありがたくて感謝で一杯になります。私達が神様に「造られたもの」であることを忘れないで神様に従っていくならば、私達には神様の尽きることのない祝福と平安があり…

粘土が陶器師を忘れる

私達人間は、神に造られたものであるということをついつい忘れてしまう。そして自分が神様に成り上がってしまう。これが「罪」ということです。自分が神様より偉くなっていますから、神様を自分の都合の良いように利用しようとします。自分の祈りが答えられ…

はじめに

「陶器が陶器師と争うように、おのれを造った者と争う者はわざわいだ。粘土は陶器師に向って『あなたは何を造るか』と言い、あるいは『あなたの造った物には手がない』と言うだろうか」(イザヤ書45:9/ 口語訳) 「あなたがたは転倒して考えている。陶器師…