粘土が陶器師を忘れる

 私達人間は、神に造られたものであるということをついつい忘れてしまう。そして自分が神様に成り上がってしまう。これが「罪」ということです。自分が神様より偉くなっていますから、神様を自分の都合の良いように利用しようとします。自分の祈りが答えられなかったら「何だ神様は!」と非難するような心境になるのです。そして神様をいい加減に扱うようになります。人よりも自分が偉くなり人を見下げるようになります。人間のもともとの根底には、消すことのできない「自分を誇り、人をバカにし、少しでも人より上にいたい」という気持があります。これが自分ではどうすることも出来ない罪です。「陶器師と造られた粘土」の聖書個所は、私が学生時代に出会って以来、私の心の深く入っていきました。私達一人一人は、本当だったら「ああ、これは失敗だ」と言われて、くしゃくしゃにされ、「ダメだ、これは。造り直しだ」と、粘土の塊の中に投げつけられ、丸められ こねられて、新しい作品に造り変えられても文句のいえない者です。それは、神様のなさることで神様の自由です。