定期集会

日曜礼拝 毎週日曜日 午前10時半−11時半 子供の礼拝 毎週日曜日 午前 9時半−10時 成人クラス 毎週日曜日 午前 10時 −10時20分 祈祷会・聖書の学びと祈り 毎週木曜日 午後 13時− 14時 全体祈祷会 毎月第一日曜日の礼拝後、共に祈ります。 キリス…

ホームページ変更のお知らせ

仙台南伝道所のホームページを移動しました。http://sendaiminami.net/ ■住所〒982-0814 宮城県仙台市太白区 山田船渡前17-4 (旧教会地より約300m先に移転)Tel/Fax:022-243-6710■仙台南伝道所 礼拝説教集 伝道所開設10周年記念の 礼拝説教集ができました…

「神の聖者」

イエス様の救い主として偉大な勝利と権能をいち早く知った「悪霊」が、イエス様に使った称号が「神の聖者」です。「聖」とは、神様に属する者として取り分けられるという意味があります。後に、イエス様の一番弟子ペトロがイエス様を証しするときに、この称…

「かまわないでくれ」=「あなたとわたし、何の関係もない」

「かまわないでくれ」という言葉は、原語で直訳すると、「あなたとわたし、何の関係がありますか?ありません」となります。この言葉は、イエス様が故郷ナザレで話された「預言者エリヤとサレプタ地方のやもめ」の話の中に出てくる言葉です。(ルカ4:26)息…

イエス様の御前にやってきた悪霊

ユダヤ教の礼拝所である「会堂」でイエス様が話をされている時に悪霊が、一人の男の体を用いて、 主の御前にやってきました。「霊」の話については、科学的思考に慣れた私達には、信じがたいと思われる方がおられるかもしれません。けれども、人間の居る所で…

同じガリラヤ地方の「カファルナウム」で受け入れられる

ナザレからガリラヤ湖へ東に約20km離れたところに「カファルナウム」という町があります。 ルカ福音書4章14〜15節や23節後半から推測すると、恐らく、このカファルナウムで宣教活動を始められた イエス様の評判が良くて、ナザレに招かれたと考えられます。…

はじめに

今日の聖書箇所の直前で、私たちの主イエス様を「メシア」としてではなく、 同郷人としか見ることのできなかった「心の狭さ」と自分達の利益を最優先にする「罪」によって、 ナザレの町は、宣教の拠点となるべき使命を果たすことができなかったわけです。

5月3日の説教要旨 詩編37:12-24・ルカ4:31-37

「神殿の屋根から飛び降りてみよ」

第三の誘惑は、悪魔が聖書の言葉「どこにおいても、天使が助ける」(詩編91:11−12)をもって、イエス様に「神の子」証明をさせることでした。しかしイエス様は、ご自身が神の子であることを証明するために神様が天使を遣わされることを良しとされませんでし…

「もしわたしを拝むなら、みんなあなたのものになる。」

第二の誘惑は、「全世界の国々のすべての権力と繁栄を与える」です。イエス様がこれから人々に伝道していく時、何か手段となるような地位も栄誉も権力も富も何もありません。それに対して悪魔はそれらすべてを持ち、多くの人々はそれを得ようと必死です。そ…

「石をパンに変えよ」

空腹のイエス様に、悪魔は「あなたが神の子ならば、石をパンに変えよ」と誘惑した目的は、自分の命を保つためならば、神の子に与えられている奇跡を行う力を使っても何の問題もないだろうというわけです。拡大解釈するならば、石を(人間の命を基本的に支え…

荒れ野の誘惑の意味

イエス様の、神の御子としての働きとは、すべての人を神様のもとに立ち帰らせること、すべての人が悔い改めを通して罪の赦しが与えられ、神の国の民とされること、すべての人がイエス様を神の御子と信じイエス様に従うことです。この目的のために、イエス様…

はじめに

今日の聖書は、イエス様の荒れ野の誘惑の出来事です。この出来事は、イエス様が成長されて、神様から神の御子としての働きへと召し出す声を聞かれ、ヨルダン川でバプテスマのヨハネから洗礼を受けられた直後のことでした。神の御子としての働きを始めるその…

ルカ福音書4:1−13          

申命記6:13−19

死に至るまで従順に生きる。

イエス様は、「十字架の死に至るまで従順でした」(8節)。イエス様は、神様から強いられてではなく(「神であることに固執しようとは思わず」6節)、ご自身の御意志によって、最後まで神様に従い通されました。「あなた方は、私達の主イエス・キリストの恵…

「へりくだって」

神の御子が神の身分を捨てて、私達と変わらない人間となられたことは、それだけで「へりくだり」の生涯ですが、さらにご自分を高い地位に置くことをせず、徹底してご自分を低くされました。一般社会の人々よりもさらに低く、公の生涯に入られてからは、ひた…

イエス様とは誰で、何をされたお方か。

今朝のフィリピ書には、私達が信じるイエス様はどういうお方であるかが述べられています。6節に、「神の身分でありながら」とありますから、イエス様は神です!7節に、「自分を無にして、人間と同じ者になられた」とあります。神が、私達と同じになる・・!…

受難週

エルサレム入城後、イエス様はユダヤ教の指導者達から遣わされた人々によって捕えられ、ユダヤの最高議会で裁かれて死刑が宣告され、更に、ローマ帝国からの許可をとるためユダヤ総督ピラトのもとに送られ、死刑が確定し、わずか6日後の金曜日に十字架刑で殺…

はじめに

今日は、「しゅろの聖日(主日)」です。今日から受難節の、最後の一週間が始まります。イエス様がエルサレムの町にロバの子に乗って入城された時期、ユダヤでは「過越しの祭り」(ユダヤ教の三大祭の一つ)のため、大勢の人々がエルサレムに集まっていまし…

フィリピ2:5−11

イザヤ書53:1−5

人間の肉体をとって世に来られたイエス様

主の埋葬には様々な人物が関わりましたが、最も思い起こすべき御方は、私達の救い主イエス・キリストです。イエス様は、神の御子でありながら、へりくだって人間として歩まれたことに感謝したいと存じます。ご誕生の時も旅先の家畜小屋の飼葉桶に寝かされる…

マグダラのマリアとヨセの母マリア

主の十字架上での壮絶な死と埋葬を見守り続けたのは、主に従ってきた女性達でした。彼女達はユダヤ社会の律法では、希望を持つことができない者達でした。しかし、主の福音に照らされると、女性であるいう条件は、何の障害にもならなくなりました。主を信じ…

ピラトと百人隊長

イエス様の埋葬を巡って、十字架刑の判決をしたローマ帝国総督のピラトと、部下の百人隊長が再び登場します。ピラトは最後までイエス様の不思議さに捉われながら、神の御子と認めませんでした。一方の百人隊長は、イエス様を「神の子」と既に信仰告白してい…

主の十字架刑でも希望を失わなかったヨセフ

弟子達が主の十字架刑が現実のものとなった時に絶望してしまったにもかかわらず、アリマタヤのヨセフは「神の国を待ち望む」希望を捨てませんでした。このことも神様は受け取られたのでしょう。主は、至らないところを裁く方ではなく、僅かばかりの良いとこ…

アリマタヤのヨセフの働きと神様の御計らい

有力議員ということは、地位に伴い、多くのお金も持っていることになります。そのような者は、多くの場合は思い上がっており、それをひたすら自分のために用いるために、神様からの祝福がないのです。しかし、この時、アリマタヤのヨセフは、富も地位も自分…

はじめに

今日の新約聖書箇所では,私達の主イエス・キリストの遺体の埋葬の様子が詳しく証しされています。十字架の少し前のイエス様逮捕の時から、ぺトロを初めとする「弟子達」は逃げ去りました。彼らとは違った人物として、アリマタヤのヨセフの働きが新たに記されて…

マルコ15:42−47

イザヤ5:8−16