2008-05-01から1ヶ月間の記事一覧

私達は・・

今の時代もなお、主人であるイエス様は不在です。教会は、弟子達、使徒達に託された神の国の業を継承し、宣教を委託されています。私達は主人から委託された仕事、すなわちイエス様の言葉を大切にして忠実な服従によってその意志を行っているだろうか。イエ…

世界史を見る

このような警告をイエス様は弟子達になさいましたが、しかしその後のキリスト教会の歴史を見る時、イエス様の警告された危険がどれほど大きなものであったかを知らされます。イエス様の昇天後、教会の指導者達をはじめとする多くの信仰者達は傲慢になり世界…

悪いしもべ

たとえでは、他の(僕)は主人の不在を喜び、その帰りがずっと遅れると考え傲慢になり、あたかも自分が主人かのように振舞い、他の使用人達に暴力をふるいます。更に主人の不在を自分自身のために利用し、あらゆる快楽を喜び楽しもうとします(48節)。しかし…

二人のしもべ

この僕(しもべ)は、他の仲間)の世話を託されていたと考えられます。一人の(僕)は決められた時間通りに使用人達に食事を整えました。彼は自分の仕事が目に見える形では他の使用人達の食事の世話であっても、この仕事が主人の家を守る大事な仕事であることを自…

はじめに

今日の聖書のたとえは、主人が長い旅に出ていて今は留守であるという設定です。僕(しもべ)は、主人がそばにいる内は本当に忠実であるかどうか明らかにはなりません。なぜなら主人の目の届く所では、服従することは当然であり、自分勝手に行動する機会もない…

 24章45−51節

45 「主人がその家の使用人たちの上に立てて、時間どおり彼らに食事を与えさせることにした忠実で賢い僕は、いったいだれであろうか。 46 主人が帰って来たとき、言われたとおりにしているのを見られる僕は幸いである。 47 はっきり言っておくが、主人…

だから・・

終末・再臨の時、救われる者と滅びる者とが分かたれます。イエス様は終末の突然性と予測不可能性をあげて「だから目を覚ましていなさい」(42節)と警告されます。私達は毎週日曜日の礼拝にしっかりつながり、天に属する者として、救われる者の道を歩みたい…

泥棒のたとえ

泥棒の侵入があらかじめわかっているならば、誰も絶対に泥棒を家に入れるようなことはしません。ところが泥棒の存在を忘れてうっかり鍵をかけ忘れた所から泥棒は侵入します。ここでは、再臨、終末が突然にやってくることを教えると同時に、キリスト者はその…

ノアのたとえ

ノアの時代、地上で人々は神様の前で堕落し、不法に満ちていました(創世記6:11)。それゆえに地上および人々は洪水によって滅ぼされました。なぜノアは助けられたのでしょうか。聖書はこう伝えています。「ノアは神に従う無垢な人であった。ノアは神と共に…

いちじくのたとえ

パレスチナでは常緑樹の木が多い中で、いちじくの木は冬に葉を落とします。そして春は短く新芽を出すのが他の木よりも遅く、「枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたこと」(32節)を知ります。同じように、イエス様の言動を通して新しい時代の到来…

はじめに

本日の聖書個所から25章にかけて、終末を意識して生きるキリスト者の生き方を、イエス様がたとえをもって教えられています。たとえは七つに及び、本日はその内の三つ(いちじくの葉・ノア・泥棒)を学びます。

 24章32−44節

32 「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。 33 それと同じように、あなたがたは、これらすべてのことを見たなら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。 34 はっきり言っておく。これら…

教会の存在の原点

さて教会は二千年ほどの時を経て存続しております。エルサレムから見れば地球の反対側に位置する日本にも、イエス・キリストの名によって洗礼を受けた者達が存在し、使徒の教えである聖書の言葉を聞き、相互の交わりをなし、パンを裂くこと(聖餐式)を守り…

この出来事を境にして何が変わったのか。

「ペテロは、このほかにもいろいろ話をして、力強く証しをし、『邪悪なこの時代から救われなさい』と勧めていた。ペテロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈る…

どうしたら良いのですか?

人々はペテロの説教を聞いて大いに心を打たれ、「兄弟達、私達はどうしたら良いのですか」と聞きました。ペテロは「悔い改めなさい。めいめいイエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。こ…

ペテロの説教(説教の最後の部分が本日のテキスト)

ペテロは人々に告げます。「イスラエルの全家は、はっきり知らなくてはなりません。あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです」(36節)。イエス・キリストの死と復活の意味を、ペテロはここではっきりと人々に告…

ペンテコステの日の出来事

ペンテコステの祭りの日に弟子達は一つ所に集まっていました。突然、激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響き渡り、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると弟子達は聖霊に満たされ、霊が語ら…

第三のこと

集中的に聖書が語っている第三のことは、その復活したイエス・キリストが弟子達に命令を与えたということです。 「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべ…

第二のこと

集中的に聖書が語っている第二のことは、復活したイエス・キリストの体についてです。あの疑い深いトマスは、自分で指をわき腹のさされた穴に当て、手に打ち付けられた釘の後を触らなければ信じられないと言いました。イエス・キリストは「触りなさい」と言…

40日間とペンテコステの出来事

ペンテコステの日に起きた出来事とそれ迄の40日間の出来事との兼ね合いで考えてみたいと思います。聖書は大きく三つのことを集中して記録しています。第一は、「復活した,ということを弟子達に認識させる」ということに集中しています。たとえば、エマオに行…

はじめに

本日はペンテコステを記念する礼拝です。50を意味するギリシャ語に由来するペンテコステという言葉は五旬節(五旬祭)とも訳されています。過越しの祭りから数えて50日目にユダヤでは麦の収穫を祝う祭(春の穀物収穫祭)が執り行われて、それをペンテコステ…

 2章32−42節

32 神はこのイエスを復活させられたのです。わたしたちは皆、そのことの証人です。 33 それで、イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました。あなたがたは、今このことを見聞きしているのです。 34 ダビデは天に昇…

 51:12−14

12 御救いの喜びを再びわたしに味わわせ/自由の霊によって支えてください。 13 わたしはあなたの道を教えます/あなたに背いている者に/罪人が御もとに立ち帰るように。 14 神よ、わたしの救いの神よ/流血の災いからわたしを救い出してください。恵…

希望

神様を信じる者は神様の所有とされ、この世の終りの日にイエス様のもとに一つに集められるという約束(希望)を聞き,信じる者は幸いです。「知恵ある心を得ることができますように(詩篇90:12)」と祈りましょう。

再臨の予告

本物のメシアであるイエス様は「稲妻がひらめき渡る」ように、誰の目にも明らかなかたちで来ます。再臨の時、天変地異が起こります。イエス・キリストがこの地上に来た時にはベツレヘムの馬小屋でひっそりと誕生され、地上の生活においても栄光を直接現わす…

大きな苦難

その時に受けなければならない苦難は、世界の初めから今までなく、今後も決してないほどの大きな苦難(21節)と言われています。この苦難の時を神様は選ばれた人達の為に、ちぢめて下さるともいわれます。この苦難の時、にせもののメシア(救い主)や、にせ…

終末の予告

イエス様は今日の聖書の個所で、ダニエル書の預言が実現するその時に備えてどうすべきかを教えます。預言の通り、聖なる場所(神殿−現代では教会)を荒らす憎むべき破壊者がこの世界の終りにやってきます。その時すべてをそのままにして先ず逃げることを教え…

教会は聖書を正典として聞く

教会で聖書が語られるのは、聖書がキリスト教の正典だからです。正典(カノン)のもともとの意味はまっすぐな棒、さお、定規という意味です。そこから尺度、基準、原則という意味に使われています。(ラテン語ノルマは規範、標準、模範の意)。教会は、人間…

はじめに

私達はまだ見ぬことに対して信じることに慎重であり臆病です。この世の中は偽りが横行し、信じていても騙されることが多い為に自分で自分をガードし、与えられるものを警戒します。科学が発達するにつれ、ますます信じるということが困難な時代になっていま…

 24章15−31節

15 「預言者ダニエルの言った憎むべき破壊者が、聖なる場所に立つのを見たら――読者は悟れ――、 16 そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。 17 屋上にいる者は、家にある物を取り出そうとして下に降りてはならない。 18 畑にいる者は、上着を取…