教会の存在の原点

 さて教会は二千年ほどの時を経て存続しております。エルサレムから見れば地球の反対側に位置する日本にも、イエス・キリストの名によって洗礼を受けた者達が存在し、使徒の教えである聖書の言葉を聞き、相互の交わりをなし、パンを裂くこと(聖餐式)を守り、祈ることに努めています。聖霊を与えられた弟子達が神の言葉を全世界に告げ知らせた結果、教会は全世界に建て上げられていきました。教会というものが存在すること自体が、「賜物として与えられた聖霊」によって実現されたものでありました。いうならば「教会は賜物としての聖霊それ自体を証しするもの」です。教会こそがまさにイエス・キリストの約束の言葉の実現でありました。ペンテコステを記念するこの朝の礼拝において、「使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった」初代教会のその姿、教会の本来的な姿、存在の原点というものを、今日においても再確認したい。それがペンテコステの礼拝の思いであります。