2011-08-01から1ヶ月間の記事一覧

参照

<コリントの信徒への手紙二 11章23節−29節> 「苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭ったこともたびたびでした。ユダヤ人から40に一つ足りない鞭を受けたことが五度。鞭で打たれ…

信仰から生まれる確信

さて、信仰を持つことによって、私達は人生の苦難を、おそらく避けることは出来ないでありましょう。しかしその苦難を、神の与えた試練として受けとめて、そこに何らかの意味を見出し、又それを乗り越える力と希望を与えるのが信仰ではないかと思います。人…

今日の聖書

今日、読んでいただいたコリント一 10:13には「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れ…

信仰の立場から

信仰の立場からすると、震災は、神が人間に与えた試練の一つであるといえると思います。試練は神が私達に与える苦難でありますが、試練によって信仰を放棄する危険が一方ではあります。しかし試練を通して信仰が練り清められる、深まるということもあります…

宗教の語るべきこと

さて、震災の中で宗教が語るべきことは何でしょうか。おそらく裁きを語って悔い改めを迫るのではなくて、むしろ慰めや希望ではないかと思います。震災の為に命を亡くした家族がいますが、その人達の死を弔うことであり、天における平安を祈ることでなければ…

今回の震災と罪悪の因果関係

文明生活を享受している現代人が、繁栄の中で享楽的になったり、退廃的になったりしてモラルが低下しているのは事実であるでしょう。そしてそのことを反省するのも大事かもしれません。しかしそのことと、大震災が起こったという事実の中に、本当に因果関係…

天災と天罰

この時、私が思い出したのは、関東大震災の時になされた「天譴論(てんけんろん・天のけん責)」の議論です。これは、「大震災は私達の行ないの悪の故であり、天が懲らしめている」という議論です。この議論は、渋沢栄一(当時東京商工会議所会頭)が言い始…

祈祷会でささげられた祈り

3月11日の2日後は日曜日でした。その日、私は作業着を着てリュックサック(聖書・讃美歌・水と非常用の食料)を持って、教会迄歩いていきました(一時間くらい)。教会は無事で、やはり作業着を着た牧師夫妻が迎えてくれました。当日は20人位の人達が集まり…

はじめに

3月11日に起こった大震災から半年近く経過して、私達の日常生活もやっと落ち着きを取り戻してまいりました。人命救助や緊急避難の段階は過ぎ、復旧・復興の途上にある段階にきていますが、少し落ちついてきたこの時点で、もう一度、大震災の意味について、聖…

 10章13節

あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。

「三人の中で、誰が追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか」

この律法学者は、義務には忠実であったと思われます。しかし愛さなくても良い時には愛することをしない人です。だから隣人を愛せと言われると、私の隣人は誰かと規定したがるのです。イエス様は、彼に、「誰が隣人になったか」と問い返されました。 「隣人を…

「良きサマリア人」

イエス様が語られたこの譬え話は、追いはぎに襲われ、半殺しにされて倒れていた一人のユダヤ人の傍を三人の人が通りかかり、祭司とレビ人の二人は、倒れた人を見ると道の向こう側を通って行ってしまいましたが、三番目に通りかかった旅の途中のサマリア人は…

律法の教え

一つは、「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」(申命記6章5節)です。もう一つは、「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」(レビ記19章18節)です。 イエス様は正しく答えた律法学者に「それを実…

「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」

律法学者の質問に対して、イエス様は、まず、「神様の意志のあらわれ」である律法を参考にするように言われました。 律法学者の答えは、イエス様から「正しい」と言われるものでした。

永遠の命

律法学者の質問は、「永遠の命を受け継ぐ為には、何をしたらよいのか。どうすれば永遠の命がもらえるか」というものでした。悪意を別にすれば、この質問は人間にとって、とても大切な質問です。永遠の命とは死んでも生きる命のことです。神の国(天の国)に…

はじめに

本日の「良きサマリア人」の話は、イエス様の譬え話の中でも「放蕩息子」と並んで最もよく知られている話です。イエス様がこの話をされたのは、一人の律法学者の質問がきっかけでしたが、この律法学者は、イエス様を試そうとする悪意がありました。イエス様…

10章25−37節

すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」 イエスが、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると、 彼は答えた。「『心を尽…

19章17−18節

心の中で兄弟を憎んではならない。同胞を率直に戒めなさい。そうすれば彼の罪を負うことはない。 復讐してはならない。民の人々に恨みを抱いてはならない。自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。わたしは主である。

 「隣人になる」  牧師 佐藤義子

「人間にできることではないが、神にはできる。」(27節)

「金持ちの男」は、弱い(貧しい)人を愛するという神様の御性質に倣って、神の御子に従うという内容が、自分の欲求に合わず立ち去りました。イエス様は、愛情を懸けたこの「金持ちの男」が離れていく様を見て、富に対する人間の執着が、神の国に入ることを…

神様の愛

神様は、この世で弱い立場にある者を愛される方です。今日の旧約聖書(申命記)では、そういう人々の代表として、孤児、寡婦、寄留者(外国人)が挙げられています。彼らの人権、必要な食べ物や衣服への配慮が明確に記されています。弱い者を愛される性質、…

神の国に入る条件

イエス様は金持ちの男に、神の国に入る第一条件を示されました。それは、ユダヤ人なら誰でも知っている「十戒」の後半部分を守ることです。それを聞いた彼は、「そういうことはみな、守ってきました」と答えます。イエス様は彼をみつめ、慈しんで言われまし…

金持ちの男の質問

もう一つは、「永遠の命を受け継ぐには何をするべきか」との問いについてです。聖書では、「永遠の命を受け継ぐ」と「神の国に入る」は、ほとんど同じ意味と捉えられています。罪に陥った人間を救ってくださったイエス様につながることで、「永遠の命が与え…

はじめに

今日の新約聖書は、二つの段落に分かれています。前半部は、金持ちの男の質問で、二つのことが問題となります。一つは、イエス様に対して「善い先生」と呼びかけに使った「善い」という言葉です。イエス様は「善い者」は神様お一人だけに当てはまる言葉であ…

10章 17−31節

イエスが旅に出ようとされると、ある人が走り寄って、ひざまずいて尋ねた。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」 イエスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。 『殺す…

10章 17−22節

あなたたちの神、主は神々の中の神、主なる者の中の主、偉大にして勇ましく畏るべき神、人を偏り見ず、賄賂を取ることをせず、 孤児と寡婦の権利を守り、寄留者を愛して食物と衣服を与えられる。あなたたちは寄留者を愛しなさい。あなたたちもエジプトの国で…

神様の平和

神様は、私達を救う為に、御子イエス・キリストを私達のもとに遣わされました。私達が、それぞれの罪を悔い改め、イエス・キリストを信じて受け入れ、従う時、思い煩いから解放され、感謝を込めて、求めていることを神様に打ち明けることが出来ます。そして…

「どんなことでも思い煩うのはやめなさい」(6節)

思い煩いとは、自分の未来を何とか自分の手の内に握ろうとする人間のあがきであるともいえます。しかし思い煩いは、「先ず、神の国と神の義を求めよ」(マタイ6:33)という戒めを妨げるものです。未来を左右するのは神様だけです。ですからパウロは、悩み心…

どこに立つか

今日読んだ1節には、「主によってしっかりと立ちなさい」とあります。「主によって立つ」は、「信仰の中に立つ」、「恵みの中に立つ」、「福音の中に立つ」という言い方もされます。「主によって立つ」者は、その存在自体が「主」に属していますから、「主」…

はじめに

日本基督教団では、毎年8月第一週の日曜日を、平和聖日として守っています。フィリピ書3章20節に、「私達の国籍は天にある」(口語訳)とあります。イエス・キリストを信じる者は、この地上における国籍とは別に「神の国」の「国籍」を持っています。神の国…