「三人の中で、誰が追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか」

 この律法学者は、義務には忠実であったと思われます。しかし愛さなくても良い時には愛することをしない人です。だから隣人を愛せと言われると、私の隣人は誰かと規定したがるのです。イエス様は、彼に、「誰が隣人になったか」と問い返されました。


「隣人を愛せよ」とは、「隣人」という特定の人物がいるのではなく、私の助けを必要としている人、私の助けを待っている人が「私の隣人」であり、「隣人を愛しなさい」といういましめは、「私が、その人(私の助けを必要としている人)の隣人になる気持(愛)を持っているかどうか」を、私自身に問いかけてくるのです。

愛の決まった形はなく、愛は自由に行動します。強制も命令も不要です。助けが必要と思うならば、自分から進んで助けるのです。

エス様は、「行って、あなたも同じようにしなさい。」と言われます。