2007-05-01から1ヶ月間の記事一覧

聖霊とわたしたち

「霊の初穂(聖霊)をいただいている私達も、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。私達はこのような希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものを…

3.聖霊と私達の関係

イエス・キリストが言われたように聖霊がくだりました。使徒言行録にあるように、当時の全世界の人々が集まった所に、聖霊が降って教会が始まりました。聖霊と私達の関係とは、教会が建てられた(始まった)ということです。教会を通して、主イエス・キリス…

2.聖霊はいつ降(くだ)ったか

聖霊はペンテコステに降ったことが使徒言行録に記されていますが、主イエスご自身が前もって語っておられます(ヨハネ16:7)。 「しかし、実をいうと、私が去っていくのは、あなた方のためになる。私が去って行かなければ、弁護者(助け主)はあなた方の所…

まとめ

聖霊は父なる神と主イエスから遣わされる 聖霊は助け主・真理をあかしする霊として、常に永遠に、私達と共に、主イエスについて、あかしをする。 使徒パウロの言葉でいえば、「神の霊以外に神のことを知る者はいません」(Ⅰコリント2:11)。わかりやすくい…

1.聖霊とは何か

「わたしは父(なる神)にお願いしよう。父(なる神)は別の弁護者(ヘルパー・助け主)を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。」(16−17) この言葉から、主イエスが聖霊(助け主)を父なる神にお願いす…

はじめに

今日はイエス・キリストが復活なさった過越しの祭りから数えて50日たった五旬節(ペンテコステ)の日で、教会がこの日に始まったという記念の日です。使徒言行録2章には、当時の全世界といってもよい、七つの民族と九つの地方(9節‐11節)から、五旬節の為に…

 2章38節

38 すると、ペトロは彼らに言った。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。

 2章32−33節

32 神はこのイエスを復活させられたのです。わたしたちは皆、そのことの証人です。33 それで、イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました。あなたがたは、今このことを見聞きしているのです。

 2章1−4節

1 五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、2 突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。3 そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。4 すると、一同は聖霊に満たさ…

 59章20−21節

20 主は贖う者として、シオンに来られる。ヤコブのうちの罪を悔いる者のもとに来ると/主は言われる。21 これは、わたしが彼らと結ぶ契約であると/主は言われる。あなたの上にあるわたしの霊/あなたの口においたわたしの言葉は/あなたの口からも、あ…

キリスト者としての私達の歩み

私達は神様を信じ、イエス様を信じています。しかし私達は湖上を歩くイエス様を見て「幽霊だ」とおびえ、又、イエス様を見ながら強い風を受けると足元を見て沈みかけるような「信仰うすき者」です。そのような私達でも「主よ、助けて下さい」との祈りを通し…

「本当に、あなたは神の子です」

イエス様とペテロが舟に乗り込むと、あれ程弟子達を悩ませていた風は静まりました。この時弟子達は「本当に、あなたは神の子です」との信仰の告白を表わしました。弟子達はこの出来事を通してはっきりとイエス様のお力の根源、すなわち天地万物の創造者なる…

すぐ

イエス様は、恐怖の時間を長く放っておかれる方ではありません。私達がイエス様に叫び求める時、すぐ、手を伸ばして下さいます。助けを求めず自分の力で何とかしようと考える者は、そのまま沈むしかありません。

「主よ、助けてください」(30節)

この言葉は、イエス様が救い主であり、助け主であられることを私達に示しています。助けを求めるお方は、このイエス様しかおりません。まさに沈みゆく私達に手を伸ばして捕まえて下さる方は、人ではなくイエス様です。イエス様こそ神の子であられるゆえに、…

「信仰のうすい者よ、なぜ疑ったのか」(31節)

助けを求めるペテロにイエス様はすぐに手を伸ばされました。そしてなぜペテロが危険な目に会われたのか、その理由を明らかにされました。ペテロは暴風の力を見て、その暴風を受けている自分が水の上にいるという危険に目を向けました。確信がゆらぎ疑い、心…

「来なさい」(29節)

イエス様はペテロの願いを聞き届け、「来なさい」と命じられました。ペテロは水の上を歩いてイエス様に近づいていきました。「しかし」(30節)、イエス様だけを見ていたペテロは途中強い風に気付いた時、イエス様の命令で歩いていることを忘れて怖くなりま…

「わたし(ペテロ)に命令して」(28節)

ペテロは、この超自然の中におられるイエス様と一緒になりたいと思いました。イエス様がもしも命じて下さるならば、自分もイエス様と同じように湖の上で並んで立つ事ができると信じました。自分も神様の力にあずかれるとの確信がありました。

「わたしだ」(27節)

「わたしだ」という原語のギリシャ語は、モーセが神様に名前を聞いた時に「わたしはある」と答えられた、その「わたし」と同じに読むことが出来ます。自然を相手に全くの無力の中にいた弟子達の所に、イエス様は「わたしだ。」と来られました。

「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」 

湖上を歩いてこられたのは幽霊ではなくイエス様ご自身でした。強いて弟子達を舟に乗せられたイエス様は、それゆえに今、来られたのです。その来られ方が私達人間の思いを越えていた為、弟子達は幽霊だと思いおびえたのです。その時すぐに、イエス様は声をか…

逆風で漕(こ)ぎ悩む

一方、弟子達の乗った舟は向こう岸にたどり着くことが出来ずにおりました。舟は湖の真中までは来ていましたが(マルコ6:47)、逆風でこぎ悩んでいたとあります。先に進めず、かといって後戻りも出来ず、時刻は既に真夜中を過ぎ明け方近くになっていました。…

強いて

イエス様がまずしたことは弟子達を「強いて舟に乗せ、むこう岸へ先に行かせた」ことです。「強いて」ということは、弟子達はイエス様と一緒にまだここに残りたいと思っていたのかもしれません。しかしイエス様のご命令であるゆえに、弟子達は群衆より先に舟…

はじめに

5つのパンと二匹の魚による奇跡は、弟子達をはじめ、この場にいた群衆にとって感動的なことがらであったに違いありません。弟子達も群衆も、この出来事について更にゆっくり味わいたいと思ったでしょう。ヨハネ福音書には、奇跡を行なったイエス様をローマ…

 14章22−33節

22 それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸へ先に行かせ、その間に群衆を解散させられた。 23 群衆を解散させてから、祈るためにひとり山にお登りになった。夕方になっても、ただひとりそこにおられた。 24 ところが、舟は既に陸か…

神の国

イエス様がおられるところは神の国です。神様の恵みが、愛が、満ちている所です。イエス様から食事の世話を命じられた弟子達は「ここには・・しかない」としか答えられませんでした。天から降ったマナの話を知っていたことは役立ちませんでした。ところが「…

天を仰ぎ・賛美の祈りを唱え・パンを裂き・弟子達に渡す」(19節)

この言葉は、最後の晩餐のイエス様の言葉と同じです。或いは又、この情景は、神様の食卓に招かれ、神様の言葉をいただき、神様の恵みにあずかる毎週の礼拝の姿であるとも言われます。さらに、群衆の全ての人が食べ、満腹し、残ったパン屑が12の篭に一杯にな…

「ここにはパン五つと魚2匹しかありません」(17節)

イエス様は弟子に「それしか持っていない」というそのすべてを持って来させました。そして群衆を草の上に座らせ、五つのパンと二匹の魚をとり、天を仰ぎ、賛美の祈りを唱えました。それからパンを裂き、それを弟子達に渡されました。弟子達はパンを受け取る…

「あなたがたが与えなさい」(16節)

追ってきた群衆は、女と子供を別にして五千人おりました(21節)。時は過ぎ夕方になりました。食糧を買いに行くには村まで時間がかかります。そこで弟子達はイエス様の所に来て、群衆を解散させるようにお願いしました。この時イエス様は、群衆を空腹のまま…

「歩いて後を追った」(13節)

群衆は、イエス様に会いたくて歩いてその後を追いました。そして病人はいやされました(14節)。

一人になる

ヨハネの死は、イエス様ご自身の受難が近づいてきているしるしでもあります。神様からの使命を果たしながら、近い将来迎えるその時まで、イエス様は働き続けていかれます。その根底を支えるのが、人から離れ、一人になって祈ることでした。 私達は日常生活の…

「イエスはこれを聞くと」(13節)

これ、とは、すぐ前のヨハネの弟子からの報告(ヨハネが殺されたこと)と考えられます。預言者ヨハネの死は予測されていたとはいえ、ある日突然に(殺したヘロデ王でさえ、考えてもいなかった)起こりました。ヨハネの死を聞いたイエス様は「一人 人里離れた…