「どんなことでも思い煩うのはやめなさい」(6節)

思い煩いとは、自分の未来を何とか自分の手の内に握ろうとする人間のあがきであるともいえます。しかし思い煩いは、「先ず、神の国と神の義を求めよ」(マタイ6:33)という戒めを妨げるものです。

未来を左右するのは神様だけです。ですからパウロは、悩み心配する代わりに、「祈る」ことによってキリスト者の特権を用いるように導きます。キリスト者の祈りは、感謝と賛美が伴います。私達の為に正しく配慮して下さる神様の前に、すべてのことを神様の支配に委ねる信仰をもって祈るのです。キリスト者の祈りは、この世の御利益宗教のように願い事だけ祈るのではなく、感謝を基礎とする信頼の表明でもあります。