新約時代の「主の道を整える」とは・・

 「罪を告白し、悔い改めの洗礼を受ける」(4−5節)ことです。聖書によれば、一番大きな罪は主イエスと、御子をこの世に下さった神様を信じることが出来ないことです。洗礼は、罪の告白によって罪が赦された結果もたらされる恵みです。多くの方々がその恵みにあずかってほしいと願っています。私自身、告白前の苦しい締め付けられるような感覚と、祈っていただいた時の解放された自由な感覚は忘れることができません。苦しみから救いへと180度の転換の体験は、主への道を整え、より強い結びつきとなり、主から捕らえられる喜びを得ることができます!今日の聖書では、主イエスはまだ登場せず、洗礼者ヨハネが、あらかじめ、神様が準備していた人として描かれています。「らくだの毛皮に腰に革の帯」という姿は(列王記下1章8節の)エリヤを想起させます。エリヤは、イスラエル民族にとっては、救い主の先駆けとして再び現れると信じられていた人物です。ヨハネ=エリヤとなれば、ヨハネが主イエスを自分の後に来る偉大な方と証言すれば、イエス=メシアとなります。