神がアベルに目を留められたことについての、さまざまな見解

 カインではなく、アベルとその献げ物に主の目が留められたことの理由について様々な見解が提起されています。例えば、神様は穀物ではなくて羊の献げ物を好まれたとの見解です。これは農耕民族の周辺のカナン人ではなくて、牧畜をなりわい(生業)としていたユダヤ人の神であることを暗示する、そのことを示していると考える見解です。しかしそれは推測の域を脱しない見解であると思います。別の見解は、出エジプトの時に神が示された価値観(人であれ、家畜であれ、全ての初子は神のものであるとの価値観)に対してアベルはそれに適ったと考えるのです。これも推測の域を脱することは出来ません。更なる見解として、弟が長男にとって代わるというモチーフが投影されたという説明です(例えば、兄エサウではなくて弟ヤコブに祝福が与えられたこと。長男のエリアブではなくて弟のダビデに油が注がれ王として選ばれたこと。新約聖書では、弟の放蕩息子の方が大事にされるような状況に兄が怒ったという、先のものと後のものとが逆転するテーマがこのカインとアベルにおいても表れている)。いささかこれは乱暴な見方であると思います。