2010-11-21から1日間の記事一覧

信仰によって献げる信仰者

さて今日においても、私達も主に献げ物を携えてきます。例えば時間を献げ、奉仕の業に参与いたします。又、献品や献金を献げます。ある人は生涯を献げる献身をいたします。さまざまな献げ方があります。 しかしそれらは、外側の大きさ、種類で優劣が決まるの…

神は献げる人と献げられた物を見られる

創世記では、神はカインとカインの献げものを見た。そしてそれに目を留めることはなかったのです。「献げ物」ではなくて「献げる人と、献げられた物」を見たということですので、まさにその献げ物がどのような心をもって献げられたか、ということが大切だと…

献げること以上に大切なこと

最初はサムエル記上15章22節の、預言者サムエルのサウル王への言葉「サムエルは言った。『主が喜ばれるのは、焼き尽くす献げ物やいけにえであろうか。むしろ、主の御声に聞き従うことではないか。見よ、聞き従うことはいけにえにまさり、耳を傾けることは雄…

アベルは「優れていたもの」を献げた

カインもアベルも信仰を有し、尚、献げ物さえしました。しかし新約聖書は「アベルは信仰によって献げた」と語るのです。即ち、「ただ献げた」というのではなくて「信仰をもって献げた」と記すのです。その献げ物は「優れたいけにえであった」と記しています…

ヘブライ人への手紙

創世記のこの箇所だけに限定しますと、見解はそこ迄であるとしても、新約聖書の解釈はさらに踏み込んだものとなっています。 今日お読みしたヘブライ人への手紙11章4節に目を転じたいと思います。ヘブライ書の著者は「信仰によって、アベルはカインより優れ…

不条理に対しても、顔を上げて生きる生き方

この不条理に関して、神様の取り扱いに対して、どうしてこんな事をするのだと異議を感じて八つ当たり的に鬱憤(うっぷん)晴らしをするということではなくて、不条理においても尚、罪が入り込む余地を与えず、あくまでも正しい道を歩む信仰。顔を上げて生き…

不条理

どの見方をとるとしても聖書の説明自体は、明示的ではありません。ただ結論として、「もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか。正しくないなら、罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない。」(7節)と結果…

神がアベルに目を留められたことについての、さまざまな見解

カインではなく、アベルとその献げ物に主の目が留められたことの理由について様々な見解が提起されています。例えば、神様は穀物ではなくて羊の献げ物を好まれたとの見解です。これは農耕民族の周辺のカナン人ではなくて、牧畜をなりわい(生業)としていた…

はじめに

本日の聖書の箇所は史上初の殺人、兄が弟を殺した出来事を記しています。殺人は、弟と比較された怒りによって引き起こされ、嫉妬心も絡んでいたと推測されます。神が、弟アベルとその献げ物に目を留められたが、兄カインとその献げ物には目を留められなかっ…

11章4節

4 信仰によって、アベルはカインより優れたいけにえを神に献げ、その信仰によって、正しい者であると証明されました。神が彼の献げ物を認められたからです。アベルは死にましたが、信仰によってまだ語っています。

4章1−7節

1 さて、アダムは妻エバを知った。彼女は身ごもってカインを産み、「わたしは主によって男子を得た」と言った。2 彼女はまたその弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。3 時を経て、カインは土の実りを主のもとに献げ…