不条理に対しても、顔を上げて生きる生き方

 この不条理に関して、神様の取り扱いに対して、どうしてこんな事をするのだと異議を感じて八つ当たり的に鬱憤(うっぷん)晴らしをするということではなくて、不条理においても尚、罪が入り込む余地を与えず、あくまでも正しい道を歩む信仰。顔を上げて生きる生き方というものが教えられているということで、この箇所を読むことが強いられるのです。