2011-07-10から1日間の記事一覧

大きな喜び

見失った羊を見つけ出した羊飼いの喜びが大きなものであるように、神のもとに立ち帰る一人の人が起こされるなら、天において大きな喜びが起こります。律法学者やファリサイ派の人々も、共にこの大きな喜びにあずかるようにと、イエス様は譬えをもって招かれ…

「このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない99人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある」(7節)。

神様を信じて神様に従うことで、人は初めて人として正しく生きることが出来ます。しかし人間は、アダムとエバ以来、罪をもって生まれ、罪の中に生き、神様から離れて、自分を神とする生き方をするようになりました。そこで神様はイエス様を遣わし、人間はイ…

一匹の羊

ルカによる福音書15章では、イエス様は三つの譬え話をされています。最初の譬えは百匹の羊を飼っている人が、一匹の羊を見失った話です。羊飼いは、羊が狼などに襲われるのではないか、岩山に足をすべらして谷底に落ちるのではないか、と、必死で探しまわり…

イエス様は求める人々を拒まれない

しかしイエス様は、「今、現在、あなたは罪人だから、徴税人だから、」ということで、心を閉じることはありません。どのような人であろうとも、「イエス様の話を聞きたい」という気持さえあれば、いつでも心を開いて迎え入れました。ところが今日の箇所では…

ファリサイ派や律法学者の立場

彼らは、旧約聖書で教える神様の義(神様が教える正しさ)に従うことにおいては忠実でした。自分の良心にかけて、真理であることに熱心でした。(私達のように、頭でわかりながらも妥協の多い生き方−たとえばウソも方便など−をしている者達に比べたら、比べ…

はじめに

今日の聖書の直前には、「聞く耳のある者は聞きなさい」とのイエス様の言葉があり、そして1節に、徴税人や罪人が、皆、話を聞こうとしてイエス様に近寄ってきたとあります。彼らは、ユダヤ人社会から疎外された人達でしたが、イエス様の話を聞く為にイエス様…

15章1−10節

徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄って来た。すると、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」と不平を言いだした。 そこで、イエスは次のたとえを話された。 「あなたがたの中に、百匹の…

23編1−6節

1 【賛歌。ダビデの詩。】主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。 2 主はわたしを青草の原に休ませ/憩いの水のほとりに伴い 3 魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく/わたしを正しい道に導かれる。 4 死の陰の谷を行くときも/わたし…