キリスト教は「接ぎ木型」宗教

 聖書にありましたように、私達は「自分である」ということを失うことなく、それでも、その自分が新しく造り変えられていくということが約束されている。変わっていってよい、と許されている。それを言う宗教がキリスト教です。しかもそれは突然の変身ではなく、ゆっくりとした変化や成長でも良い。その意味で日本人にとっては、キリスト教は「根こそぎ取り換え型」の宗教ではなくて、「接ぎ木型」の宗教だと言ってよいかと思います。日本人であれ何人であれ、その人が培ってきた良い人間性が、神様に繋がった後も祝福され、キリスト教信仰の中に受け止められて生かされていくのです。