たとえの意味

 たとえで、広場に行く時間や主人に声をかけられた時間の違いは何を意味しているのでしょうか。「先の者」はユダヤ教徒、「後の者」はキリスト教徒と読む人もいますし、すぐ前に登場したペテロを「先の者」と読み、ペテロより後からイエス様に従った者を「後の者」と読むことも出来ます。或いは、夜明けから日没までを人生にたとえて、救われる時期を「先の者」と「後の者」というふうに考えることも出来ます。一般社会では、働く時間数が多ければ報酬も多いのが当たり前です。しかし神様は、一人一人の努力や仕事量、業績に応じて報いを与える方ではありません。天の国は、神様の視点ですべてが行なわれます。主権は神様にあります。神様がご自分の祝福をご自分の民に対してどのように分配なさろうと、それは神様の全くの自由意志によります。主人は不平を言った者に、「私の気前の良さをねたむのか」と言いました。「ねたむのか」は「あなたの目が悪いのか」という意味の言葉です。ねたみは神様のなさることを神様の視点で見ることの出来ない悪い目を持っているということです。