恵みと慈(いつく)しみ

 そんな羊と羊飼いの歌は、23編の最後で、もう一つのことが言われています。学びたい第三のことですが、6節に、「命のある限り、恵みと慈しみはいつも私を追う。」と歌っています。一生涯、恵みと慈しみは、いつも私に付き添ってくるということです。「恵み」と「慈しみ」という言葉がここに書かれています。詩編もそうですが、聖書の中では、恵みと慈しみという言葉は同じ意味で使われることがあります。この二つの言葉で一つのことを総合的に表現しようということです。


ルツ記という書物の中にこの慈しみ(ヘセド)が何度も出てきます。ナオミという姑と、嫁のルツ二人とも、夫を異郷の地・モアブで亡くしてしまいます。そしてこの二人はそのモアブの地から、故郷ベツレヘムへ引き揚げてくるのですが、帰ってきてみると日毎の食べ物にも事欠く状況に陥ります。そのような時には、よそさまの麦畑に行って落穂を拾っても良いということになっておりましたので、嫁のルツは日ごとの糧を得ようと、ボアズという農夫の畑に落穂を拾いに出かけて行きます。ボアズはルツが落穂を拾いに来るということを聞いて、農夫達に、このように命じる箇所があります。「麦束の間でも、あの娘には拾わせるがよい。止めてはならぬ。それだけではなく、刈り取った束から穂を抜いて落としておくのだ、あの娘がそれを拾うのをとがてはならぬ」(2:15b)。普通、落穂ですから刈り取った後の畑から拾って食べて良いことになっていますが、刈り取っていない部分でも拾わせてよい。しかも、わざわざ束から穂を抜いて、刈り取った後の畑に落とし、それを拾うのをとがめてはならない、と、そのように農夫たちに命じる・・。これは、農夫ボアズがルツに示した、慈しみであると表現されております。