「正しいこと」とは神様の御心に適うこと

 罪を犯していないイエス様がバプテスマを受けるということは、イエス様御自身が、御自分を、罪ある人間の側に身を置かれ、罪ある人間と同じ者としてその交わりに入ることです。フィリピ書には「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました」(2:6)とある通りです。イエス様が洗礼を受けられた時、天は開き、神様の霊がイエス様の中に入り、天からの声が聞えました。「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」。こうして神の御子・イエス様の、救い主としての公生涯が始められました。
エス様は、私達に、聖霊と火でバプテスマを授けて下さるお方です。私達はこのバプテスマをも求めていかなければなりません。聖霊が私達に降る時、私達は新しく造り変えられていきます。私達は洗礼によって、古い自分と決別したはずですが、なお、私達は新しく造り変えられていく必要があります。悪の根が火で焼き尽くされ、聖霊を受けることによって、私達はイエス様に似る者とされていく約束が与えられています。
神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。」(ロマ書8:29)