はじめに

 3本目のローソクに火がともりました。待降節の第一週目にともされた最初のローソクは、待つ時間の長さを表すようにずいぶん小さくなりました。私達にとって待降節の「待つ」という意味は、クリスマスを待つというよりもイエス様が再びおいでになる「再臨を待つ」というニュアンスの方が強いのですが、イエス様誕生以前のユダヤの人々にとってメシア待望の思いは、私達の想像をはるかに超える強いものであったと思います。