いちじくが枯れた奇跡

 弟子達がイエス様にいちじくが枯れた理由を尋ねますが、イエス様はそこから「実を結ぶ信仰」について教えられます。人間の常識では不可能と思えることでも神様の力に信頼するならば、それは成るということです。イエス様はてんかんで苦しむ息子を連れてきた父親に、「出来れば、というか。信じる者には何でもできる」と言われました。「求めよ、さらば与えられん。」との言葉はあまりにも有名ですが、しかし私達は、聖書で繰り返し教えられているこの神様への絶対信頼が、多くの目に見える事柄に邪魔され影響を受け、次第にしぼんでいくことがあるのではないでしょうか。以下は、ある神学者の言葉です(蓮見和夫氏が紹介)。

 「最悪の罪は、祈らないということです。私達をしばしば驚かすキリスト者の明らかな言行不一致は、祈りのないことの結果であり、そのとがです。祈りを欲しないことは、祈らないという罪のさらに背後にある罪です。しかしその結果、祈り得なくなるのです。それこそ祈りを欲しない人の受ける罰にほかなりません。それは精神的失語症、あるいは精神的餓死です。あなたは額に汗してパンを得なさい。これは肉体的労働と同じく、精神的労働についても言われた真理です・・」。

 祈りは聞かれます。自己中心的な欲望の為ではなく、神様の栄光を現し、神様の御心にかなう祈りならば必ず聞かれます。私達はもっと大胆に確信をもって祈りましょう。自分自身の為に、家族と隣人の為に!!