神なき所から神と共に生きることへ

 こうして占星術の学者達はその遍歴の旅を通して、それ迄自分達と何の関係もなかった御子イエス・キリストとかかわりを持ち始めます。神の救いの歴史の中に入っていったといっても良いでしょう。神の救いの歴史に彼らが入っていくということは、反対に神の救いの歴史が彼らの中に入り込んでいくということです。それは、神が彼らと共に生きようとされたということです。そして彼らが神と共に生きるようになるということです。人は誰も、もはや神なしではないということ。それがここで起こっていることです。偶像礼拝や迷信の中にいたあの占星術の学者達。ただ星に導かれて幼な子イエスを拝した姿は私達自身の姿として見ることが出来るとしたら、彼らも私達も もはや神なしではない、ということです。イエス・キリストがお生まれになったということ、クリスマスということ、それは神なき所から救われたということです。ですからこの場合の救いとは、私達の悩みがいっぺんに解消したり、病気がすぐに治ったり、幸福をつかむ、という以上に、神と共に生きることが出来るということ、神をあてにしていいということです。もし私達の悩みが解消されるのが救いであるならば、悩みがなければ救われなくて良い、というのでしょうか。もし幸福をつかむということが私達の救いであるとするならば、幸福をつかんだら神様はいらない、ということでしょうか。そうではないのです。神なき所から救われるということ。これが聖書の救いです。神が共にいて下さるということ。私達自身の人生を神の地平の中に見出して、神との関係において新しく生きることがゆるされるということ。これがここにおいて占星術の学者たちの中に起こったことであり、私達にも起こるべきことです。それはもはや死の影の谷を歩まないで済むということではなくて、死の影の谷を歩む時でも恐れない、意気阻喪しない、なぜなら神が共におられるから、と告白することが出来るからです。