罪が赦され、清くされるために

神様の前に罪を償おうとすれば、人は、「命をもって」償わなければなりません。旧約の時代は、それが動物の血で肩代わりされていました。しかし、イエス様が来られたのは、何回も繰り返される動物の犠牲ではなく、ただ一回限り、罪のない神の御子・イエス様の血が流されることによって得られる、人間の罪の償い(と神様からの赦し)の為でした。
(参照:へブル書9:22「血を流すことなしに罪の赦しはありえない」)。「自分の罪をイエス様が贖って下さる。イエス様の犠牲の死によって、自分の罪が赦される。」そのことを知り、信じて、イエス様を遣わされた神様を自分の神様とし、この神様の民とされることを約束した者は、神様の教えを胸に授けられ、心に記されるのです。