はじめに

  ユダヤ教指導者達は、イエス様のなさった「宮清め」だけでなく、神の御子にしかできないイエス様の力ある業や説教や癒しによって、群衆の尊敬が、自分達からイエス様へと移っていくことへの嫉妬や敵意がうずまいていました。しかも群衆は、イエス様を通して神様の力の偉大さを知り、神様を心から讃美していたのです。

神様がイスラエルの民を御自分の民として選んだのは、彼らが他のどの民よりも貧弱であったからだと聖書に記されています(申命記7:7)。神様は弱い者を憐れまずにはおれない御方です。その御心こそ第一に尊重されるべきでした。その神様の愛を分かりやすく人々に示したのがイエス様です。しかしユダヤ教指導者達は、律法の細々した規定や解釈に気を取られ、それが分からず、イエス様をどうにか追い払おうとしています。又、自分達から離れていった民衆の心を再び取り戻そうとしています。

エス様は、真実に対してはっきり従う決断をしない彼らに対して、きっぱりと線を引きました。しかし憐れみの心を持って真実を理解させ、救いに入ってほしいと思われて、彼らの姿を知らせるために、本日の「ぶどう園と農夫」の話をされたのではないかと思います。