「分からない」

神様の約束の預言と実現としての洗礼者ヨハネ。そのヨハネが「この人こそ救世主」と証ししたのがイエス様でした。それなのに、ユダヤ教指導者達は人間的判断で、イエス様を「救世主」と認めませんでした。もしヨハネを、神様からの権威が与えられていたと認めるならば、ヨハネの証しを信じないことは、神様からの権威を信じないことになり、ひいては神様を信じないということにもなりかねません。それは、彼らの宗教的指導者の立場を否定することになります。あわてた彼らは、逆の、「人からの権威」という答を考えますが、それでは民全体の信仰とは異なり、人々からの支持を失います。彼らは「分からない」と答えました。