私たちは死んでいた!

今日読んでいただいたエフェソの手紙2章の1節には、突然、今生きている人に向かって「あなたがたは死んでいた」との言葉が出てきます。

さらに「あなた方は過ちと罪を犯して歩んでいた」「わたしたちも皆、生まれながら神の怒りを受けるべき者でした」とあります。この手紙はエフェソの教会の信徒達に送られた手紙ですが、聖書は常に今を生きる私達に向けて語られている神様の言葉ですから、「あなた方」という部分を「私」に置き換えて読み進みたいと思います。
そうしますと今日の箇所は、「以前の私は、過ちと罪を犯して歩んでおり、神の怒りを受けるべき者として死んでいた」となります。この箇所からも、聖書は「生きる」とか「死ぬ」という言葉を、一般的な意味で使っていないことがわかります。 聖書で「死ぬ」とは、呼吸が止まることではなく、自分の過ちと罪の結果、神の怒りを受けた者。神に従わない不従順な者に働く霊に従って、肉の欲望の赴くままに生活していた者が神の怒りを受けている状態のことです。
エフェソの信徒達は、「以前は死んでいた」けれども、今は生きています。