「主(キリスト)は、わたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い 魂を生き返らせてくださる」(2節)

死の陰の谷、死の危険もある。それにもかかわらず「何も欠けることがない」と満足している理由は、「キリストは、わたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い 魂を生き返らせてくださる」からです。これは、
羊と羊飼いとの典型的な姿でしょう。この「青草の原に休ませ・・」の中に一つだけ見逃してならない言葉があると思います。