「復活まで、今見たことを誰にも話してはいけない」

エス様はこの山上の出来事を、他言することを禁じられました。
エス様はご自分が、「苦難の僕(イザヤ書53章)のメシア」であることを知り、それは出来れば避けたいと思われるほど苦しく辛いことでしが、父なる神様のご計画に、従順に従うことを決意されておりました。ところが弟子達がその事を理解しないまま「山上の変容」の出来事だけを伝えるならば、イエス様を「栄光のメシア」としてのみ期待します。復活の後であれば、「苦難の僕」が「死に勝利する栄光」を得られるので、初めて、メシアの受難の意味が理解できるようになるからです。

二千年後の私達は、この意味が解き明かされ、真実が知らされています。今だからこそ私達はイエス様の御言葉を「理解して信じて聞き従う」信仰の歩みを進めるように、聖霊の助けを祈り求めてまいりましょう。