変容

「変容」とは、イエス様の姿が「変わり」(2節)から取られている言葉で、外見だけでなく中身も変わることです。

「服は真っ白に輝き(3節)」となっていることから、イエス様が「神的存在」になっておられると理解できます。更に「エリヤがモーセと共に現れて、イエスと語り合っていた(4節)」とあります。ユダヤ人にとって、モーセは「律法(十戒を含む)」を意味し、エリヤは「預言者」を意味します。「旧約聖書」のことを「律法と預言者」とも言いますので、イエス様がここで、「旧約聖書の完成者」となったことを証ししていると言えるでしょう。同じ内容の、ルカ福音書9章によれば、モーセとエリヤは、「イエスエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた」(31節)とあります。直前にはイエス様ご自身の、「死と復活」の預言がありますから、今日の聖書箇所でも、「メシアは苦しみを受け、人々の罪の贖いの為の死を遂げる」ことを三人で話し合っていると読み取ることができるでしょう。

 七節では、雲の中から父なる神様の、「死を遂げる」覚悟を決めたイエス様を祝福するかのように声がします「これは私の愛する子、これに聞け」と。イエス様と共に高い山にいた弟子達は、イエス様によって、霊における感覚が開かれ、幻のような天の啓示の出来事を見聞きします。

 このことを理解する為に、外国語が分かる人とそうでない人の場合を考えてみます。外国語が分かればその意味を知り、新しい情報や世界が得られます。分からなければ、言葉は単なる音でしかなく、そこに意味はありません。山上の変容という「幻」のような出来事も、それを受信できる者と(例えば、パウロの回心の時のように・・サウル、サウルと呼びかける声を聞いた)、出来ない者(同行していた人達は、ものも言えずに立っていた)に分けられているのかもしれません。ですから、「この出来事=幻」と拒絶せずに、この出来事の意味を理解していきたいと思います。