2011-05-29から1日間の記事一覧

主を信じること、主に祈ること

神様に100パーセント委ねることは、最初は難しいかもしれません。しかし、そうしたいと願っていれば、神様からそういうふうに変えていただけます。今日の箇所の父親のように、です。そうすることで、主にある平安を得、本来の自分(分裂していない自分)を見…

「なぜ、私達は霊を追い出せなかったのでしょうか」

弟子達の、この質問に、イエス様は「祈りによらなければ出来ない」と答えられました。写本によっては、「祈りと断食」となっています。人間の生活への関心、特に食欲を抑えて神様へと思いを注ぎ、神様との対話である祈りに集中することの重要性を教えられま…

「『出来れば』と言うか。信じる者には何でもできる」。

信じるとは、相手にすべてを委ねて、相手の力とその結果を受け入れることです。イエス様は天地万物を創られた父なる神様の御子としての力をお持ちです。父親はイエス様の言葉によって、自分の姿勢が間違っていたことを悟り、息子の回復を心から信じるように…

「おできになるなら・・お助けください」

この息子の病気は、マタイ福音書によれば「てんかん」です。発作が起これば水や火の中、地面の上など所かまわず倒れこむので、いつも命の危険にさらされていました。おそらく父親は、それ迄も多くの医者や宗教家達に診てもらったことでしょう。しかし、今回…

イエス様の嘆き

山の下にいた弟子達は、イエス様から与えられていた「悪霊を追い出す権能」がなくなっており、危機に陥っていたのです。イエス様は、「いつ迄私はあなた方と共にいられようか」と嘆かれました。十字架の時が近いのに、山上に同行した三人の弟子も事の重大性…

はじめに

今日の新約聖書は「山上の変容」の出来事の直後に起こった出来事です。イエス様が、神様からの証しを受けて山を下りるところは、モーセが神様から十戒を授かって山を下りた話を彷彿(ほうふつ)させます。ユダヤの民は、モーセが山へ登った後なかなか戻って…

9章14−29節 

一同がほかの弟子たちのところに来てみると、彼らは大勢の群衆に取り囲まれて、律法学者たちと議論していた。 群衆は皆、イエスを見つけて非常に驚き、駆け寄って来て挨拶した。 イエスが、「何を議論しているのか」とお尋ねになると、群衆の中のある者が答…

20編2−10 

苦難の日に主があなたに答え/ヤコブの神の御名があなたを高く上げ/聖所から助けを遣わし/シオンからあなたを支えてくださるように。 あなたの供え物をことごとく心に留め/あなたのいけにえを快く受け入れ/あなたの心の願いをかなえ/あなたの計らいを実…