「『出来れば』と言うか。信じる者には何でもできる」。

信じるとは、相手にすべてを委ねて、相手の力とその結果を受け入れることです。イエス様は天地万物を創られた父なる神様の御子としての力をお持ちです。父親はイエス様の言葉によって、自分の姿勢が間違っていたことを悟り、息子の回復を心から信じるように方向転換を促されました。父親の、「信じます。信仰のない私をお助け下さい」を、こう補って読むことも可能でしょう。「イエス様の御言葉に従って、神の御子の御力を信じるようになりたいと思います。今までの間違った姿勢をお赦しください。悔い改めて、神様の御力を100パーセント信じます。長く苦難の中にあった私を救って下さい。神様はその事がお出来になります・・」。 これは、罪の告白と新たな信仰の表明です。