十字架と平和

 今日の聖書では、エフェソのキリスト教会が、ユダヤ教からの改宗者と異邦人のキリスト教徒との間にわだかまりがあったことを伝えています。それに対して、双方が、イエス様の十字架に立ち帰れば、自分を縛っていた「敵意」や「罪」を、主が御自分と一緒に十字架上で滅ぼして下さり、一人の人間が新しく造られるように結び合わされて成長出来ることが語られます。現代の教会でも、年齢・性別・育てられた環境の違いなどから生まれる信仰の違いなど、「隔ての壁」による分裂が起こっています。
 しかし私達は、今日の御言葉から、「主の十字架によって敵意を滅ぼされている恵み」に立ち帰る必要を知らされます。私達は等しく主の十字架によって罪を赦され、主の復活と共に私達も復活の恵みにあずかることが許されています。この一点で、教会は「平和の共同体」たり得ます。主の十字架による平和こそが、救いの出来事であり、神様の賜物であり、恵みです。