主の御計画と人間

 三度、イエス様を知らないと言った後に、二度目の鶏の鳴き声を聞いたペトロは、イエス様の御言葉が実に確実であり、イエス様は本当に神の御子として、人間の罪(弱さ・愚かさ)を知りながら、神様のご計画だけが実現することを言われたのを思い知りました。今朝の旧約聖書に、「万軍の主が定められれば、誰がそれをとどめえよう。その御手が伸ばされれば、誰が引き戻しえよう」(イザヤ14:27)とある通りです。これによってペトロは、自分の罪を知る、本当の意味を知りました。それでいきなり泣き出したのです。これが本当の罪の悔い改めをした証しです。
 ゼカリヤの預言通り、自分の罪を本当に知るという「精錬」を経た者だけが、本当の「神の民」となれるのです。そのためにペトロは試され、それによって却って、罪の自覚が次元を越えて深くなるという神様のご計画が実現したのです。イエス様亡き後、教会の土台の岩となるために、ペトロはここを通らねばならなかったのです。イエス様に属する者として、自分の罪(弱さ・愚かさ)を十字架につけねばならなかったのです。 
ルカ福音書では、否認はしないと言うペトロに対して、イエス様が、「あなたのために、信仰がなくならないように祈った。だから、立ち直ったら、兄弟達を力づけてやりなさい。」と言われています。ここに神様の大きな憐れみ、愛を感じずにはおれません。そして聖霊の導きの下でイエス様を主と告白した者すべてに対しても、神様は同じ思いで導いて下さっています。私達はそのような神様の「救い」のご計画の内に入れられています。この時、この場において、信仰者としてふさわしい知恵と力と愛をいただけるよう、聖霊の助けを祈り求めてまいりましょう。