「わたしと同じように」

エス様は、この教えの見本として御自分のことを見るように言われました。神の御子・イエス様が来られたのは、弱い人、貧しい人、苦しんでいる人達の為に奉仕し、彼らが神様のもとに立ち帰って癒され、元気になることでした。そして究極の目的は、罪の鎖につながれていた人間の為、十字架上で血を流されることで、神様から「罪の赦し」をいただき、罪の鎖を断ち切って下さることでした。すべては私達の為でした。私達、信じる者の間では、仕える者、しもべになることこそが、イエス様に従う道です。

最後に、フィリピ書2:1−11をお読み致します。

何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分より優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公けに宣べて、父である神をたたえるのです。」(2:3−11)