聖書の言葉の実現

エス様は御自分の道が、イザヤ書53章に預言されている「苦難の僕」としての歩みであることを知っておられました。それ迄のユダヤ人が考えていたような、「栄光の救い主」としてではないことを分かって歩んでおられました。この夜、「弟子達は皆、イエスを見捨てて逃げて」しまいました。人々は、イエス様についてきた一人の若者まで捕らえようとしました。イエス様逮捕の様子は、緊迫した恐ろしい状況だったことを知らせるものです。弟子達やその親派など人間は誰一人、その状況を乗り越えられるほど強くなかった・・。ただ神様のご計画の重大さを知る御子イエス様だけが、その場を乗り越えることができた。
神様の御心を尋ね求めることをせず、ただ目の前の出来事を恐れて、場当たり的に混乱して取り乱す人間と、神様の御心を知って、受け入れる覚悟のイエス様の姿・・。実に対照的です。