「賜物として」受ける

永遠の命は、自分の努力で獲得するものではなく、全くの神様からの賜物として与えられるものです。もし目に見える善行や、業績によるならば、行為の完璧さが求められるでしょう。それは不可能です。
彼は、自分の限界に気付き、これまでの生き方の原則を捨てて、「永遠の命」は、賜物として、恵みとして受けるものであることを知り、謙虚な姿勢へと変わったならば、イエス様のもとから去ることはなかったでしょう。しかし彼は、イエス様の言われたことを、付け加えるべき善行の条件として聞き、その結果、財産放棄は出来ないと、悲しみながらも去って行きました。イエス様は、このあと「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだやさしい」と言われました。