神の国の文化

神の御国についての、二つめのポイントですが、それは御国の「文化」があるということです。マタイ福音書5章6章、18章には御国について事細かく語られています。この世の教え・この世の方針とは違います。
たとえば、一番になりたい人は、最後にならなければならない。偉大になりたければ、皆に仕えなければならない。命を与えられたければ、それをなくしなさい。神に見ていただきたければ、隠れた所に行きなさい。心の清い者が神を見る。罪を満足させない。それは義に飢え渇いて求める人達は満たされるから・・など。
聖書には、御国について何度も同じことが繰り返されている言葉があります。ヨハネ福音書の13章には、「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたが私の弟子であることを、皆が知るようになる」(34−35節)。
「互いに愛し合うならば」。これが、御国における中心となるものです。
エフェソ書5:21以下で、パウロは夫と妻の関係を、キリストと教会の関係に「型」として譬えています。私達がイエス・キリストに属しているならば、神の国は、神の力のみでなく、(教理ではなく)、「愛」が中心にあることは明らかになります。これは自然なことではありません。私達がへりくだる姿勢をとり、私達の兄弟姉妹達を支える。私たちよりも他の人たちを優先する。これこそが超自然なことなのです。