私達の信仰

 さて、私達もイエス・キリストを知っています。聖書には次のようにまとめた形で紹介がなされています。

「『この方は、罪を犯したことがなく、その口には偽りがなかった。』
ののしられてもののしり返さず、苦しめられても人を脅さず、
正しくお裁きになる方にお任せになりました。
そして、十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。
わたしたちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。
そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました。
あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、今は、魂の牧者であり、監督者である方のところへ戻って来たのです。」(ペテロ一 2:22−25)。

 これが私達に示されているイエス・キリストの姿です。そのことを私達は聖書の言葉によって知っています。私達は知る者として毎日の経験を積み重ねています。特に十字架の出来事は、私達の合点すべき事柄として提示されているのです。納得する、信じる、ということによって、十字架のイエス・キリストは、ただ知るだけではなくて私達の内の一部とされます。

 聖書に「信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ」(エフェソ3:17)と書いてある通り、十字架のイエス・キリストを信じる時、それはイエス・キリストが私達の内に存在する時ともなるのです。