「知る」と「合点がいく・わかる」とは違う

 さて、百人隊長の心の中に起きた変化についてさらに考えてみたいと思います。1864年明治維新の4年位前)のことですが、明治維新の代表的な人物で、思想家である横井小楠(しょうなん)という人物が「思う」ということの重要性について次のように語っております。「人はただ単に本を読んで知識を得るということではなく、それを自分自身で思う、というようなことがなくてはならない。多くの本を読むだけで終るならば、帳面調べのようなものである。読んだ後にそれを思うということによって、その内容を自分のものにすることが出来る。いわゆる合点しなければいけない。知ることと合点するということとは違う。」  

 他方、最近のことですが、2002年に出版された「『わかる』ということはどういうことか」という題の本があります。著者は神経内科医で、大学で教えている「山鳥」という先生であるそうですが「目や耳から入ってくる知識は意識するにせよ、無意識にせよ、どんどん私達の頭や心の中に入って蓄積されていく。しかしそれだけでは本当にわかったということにはならない。経験の中で知ったことが記憶され、蓄積され、整理され、筋が通った時に、人はわかったということになるのだ」と言うのです。そして次のように記しています。「『納得する』という言葉があります。『なるほど』と思うことです。『わかる』の別の表現です。あるいは『合点がいく』とも言います」。

 興味深いことに、150年前の横井と同じことを主張しているのです。すなわち「知る」ということと「合点」がいくということとは違う。重要なのは、合点がいく・わかる、ということだと言うのです。