一時的か、本物か。

この、イエス様の言葉は、大勢の群衆がイエス様を慕ってついて来ていた時の言葉です。イエス様についていけば、いつでもイエス様の話を聞くことが出来、その教えは耳に心地よく響き、イエス様と一緒にいると不安や恐れからも解放されたのでしょう。

しかしイエス様は、慕って来る人達がイエス様と生死を共にするくらいの覚悟をもっているのか、次のように言われました。

「もし、誰かが私のもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に、自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない。」