自分の十字架を背負ってついて来る者

「十字架を背負う」という表現は、刑場に赴く死刑囚の姿です。死刑囚として刑場に向かう者は、家庭・社会・今迄の業績・社会的信頼など、これ迄生きて来た場所から切り離され、身に付けてきた全てのものが取り外されます。

  イエス様の背負われた十字架は、私を含めた全人類の罪をあがなう(身代わりになって罰を受ける)ためのものでした。

「私」の背負う十字架は、イエス様に従うために犠牲にする家族愛や自己愛、罪につながるあらゆる欲望、社会的な名誉や富など、これまで自分にとって価値のあるもの、魅力的であったすべてのものを十字架につける(捨てる)覚悟をしてイエス様についていくことです。

  自分の十字架を背負ってイエス様に従って行く者には、「永遠の命」「神の国」「罪の支配から救われて新しく生きる人生」が約束されます。