「わたしを見た者は、父を見たのだ。」

父である神様のところに行くには、イエス様が唯、一つの通路です。フィリポはイエス様に、「神様を示して下さい」と頼みました。人間は神様を見たいと思っているため、この世の中には数えきれない偶像が造り出されています。手で造った神々は、人間に真理を教える存在ではなく、人間に仕える、人間のための、人間の自由になる神々です。イエス様が教えられる「父なるまことの神」とは、「私が父の内におり、父がわたしの内におられる」と言われるように、イエス様と人格的に深く結合している神様です。イエス様は、神様の意志を御自分の意志として、無条件の絶対服従という道を歩まれました。
私達は、目に見えることだけに心を向けて、心を騒がせるのではなく、どのような状況が起こったとしても、希望を見出すことが困難な時でも、イエス様が教えられたように、神様を信じ、道となって最後まで導いて下さるイエス様を信じて、平安の中を歩んでいきたいと願うものです。