はじめに

 私が洗礼を受けたのは中学校2年生の時でした。中学校1年生の時、知り合いのお姉さんに「教会に行くと楽しいよ」と言われたので行くと、ハンサムなお兄さんもいたので何だかわくわくして一年間教会に通いました。そうするうち突然、先生から「あなた、洗礼を受ければ」と言われました。周りのお姉さん達も「洗礼を受ければいいよ」と言いました。
洗礼が何の意味かはっきり分からないまま、私も、教会にずっと通う為に悪くはないなと思い、一ヶ月間の洗礼準備の勉強会に出ました。先生が、「このような質問の時にはこのように答えなさい」と全部教えて下さったので、その通りにして洗礼を受けました。これが私のキリスト教との出会いの始まりです。大抵の方は、聖書の話を深く理解し神様がどのような方であるかを知ってから、或いは、真剣に自分の信仰的な決断をしてから洗礼を受けることを考えますが、人間はいつ迄たってもそのようなことはなかなか難しいと思います。今考えてみると私は何も分からないで洗礼を受けました。ある面、牧師先生が、どうかこの子を神様に結び付けておきたいという半強制的な愛で導かれたと思います。今考えると、それこそ神様の恵みではなかったかと思うところです。その後、神学校に入ることになりました。神学校に入学したことや、牧師になったことが本当に良かったのかとの思いがしばしばありました。しかし今振り返ってみると、私が洗礼を受けたのも、神様の特別な恵みと愛であった。何も分からず歩いてきたらいつのまにか神様が私をここ迄導いて下さった。そう考えています。