教会生活

 洗礼を受けてしばらく教会へ一生懸命通いましたが、高校に入り、一年過ぎた後、教会に行きたくなくなり、だんだん教会から離れていくのですが、その理由を整理してみると、おおむね二つの理由からでした。一つは、牧師先生が講壇で、いつも「私達は罪人です。」ということです。又、祈るおばさまを見ると「神様、この罪人を許してください。」といつも泣いているのです。私から見ると、人の物を盗んだり人を殺したりするような、そんな悪いことをしているような感じでもないのに、いつも「罪人」、「罪人」という。牧師も講壇から「私達は罪を悔い改めましょう。」と言う。よくよく考えてみても、私はそんなに罪を犯した記憶がないのです。私なりに正しく真理を求めて生きていこうとしているのに、なぜいつも罪人と言われなければならないか。そのような抵抗がありました。
 もう一つは、牧師先生が講壇から説教をして「このように信じていきましょう」というと、みんな「アーメン。信じましょう。」と答える。私は聖書に関して「これはおかしい」「これは何か」「これは合わない」と思うことがありました。たとえば全知全能である神様は人間が善と悪の木の実を食べるのを分かっているのに、なぜその木をそこに置いたのかという疑問です。そのような質問をすると「まあ、聖書のことはあまり深く考えないで信じましょう。」とおっしゃる。するとこの人達はあまり考えないで盲目的に、無条件的に信じているのではないか。教会に来ている人は利口のようだが、どこかちょっと抜けているのではないか。私達の理性を超えた神様に、考えずにただ「従っていきましょう」と言っている。そのような感じを受けました。これらが離れた理由です。