不従順の代償

 神様が選ばれた民の不従順は、アモス書5章からの引用にあるように(7:42−43)、モレクやライファン(カナン・フェニキアおよびメソポタミアの神の名)という異教の偶像神へと走る姿に現れました。日本でも、伝統文化の継承という言葉のもとに、偶像神への祭りには地域の多くの人々が巻き込まれていますが、イスラエルの民は、カナン定着後も周辺地域の偶像神の影響を受けて、預言者の警告を聞かず神でないものを神として拝み続けたその代償として「神は顔をそむけ、彼らが天の星を拝むままにしておかれ」(42節)ました。ロマ書に「世界が造られた時から目に見えない神の性質、つまり、神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。従って、彼らには弁解の余地がありません。なぜなら神を知りながら、神として崇めることも感謝することもせず、返って、空しい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです。自分では知恵があると吹聴しながら愚かになり、滅びることのない神の栄光を、滅び去る人間や鳥や獣や這うものなどに似せた像と取り換えたのです。そこで神は、彼らが心の欲望によって不潔なことをするに任せられ・・」とあります(1:20−)。

 神様のさばきは、今も「放任」という形でなされていることに私達は気付くべきでありましょう。