イエス・キリスト

 神の独り子イエス・キリストが見える形で、人間になって、私達の所に来て下さった。神様が見える形で、私達の人間歴史の現実に来られた。言葉が肉となった。私達が聖書を読んでこの説教を聞いて、神様の御言葉を聴きますが、それが見える形になることを私達は信じていくのです。私が信じるこの御言葉が肉になる。私の助け主になる。私の滅びの穴、泥沼から、様々な問題から、私を引き上げて下さる。それで、私の口に、この世を超えた新しい歌と賛美を授けて下さる。それを私達は信じているのです。そのような告白が私達の礼拝であり、又、そのような確信を再び持って私達はこの場所に座っているのです。「人はこぞって主を仰ぎ見、主を畏れ敬い、主に依り頼む」(同)。結局、私達の信仰の結末・肝心なことは、益々主により頼む。良い事があっても悪いことがあっても時には教会の中でも問題があります。その時こそ主に依り頼む。「いかに幸いなことか、主に信頼をおく人。」(同5)。自分の子を失ったような悲しみの中でも教会から離れず、ただ主に依り頼む。